授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など


by jjhhori

青木晴夫『滅びゆくことばを追って:インディアン文化への挽歌』(三省堂,1984年)

私がこの本を読んだのは大学2年の時.「言語学概論」で,担当の先生(この「裏番組」に何度も出ています)が最初の授業で紹介された2冊の本のうちの一冊がこれで(あとの一冊はいずれ出てきます),その先生は「この本を読んでつまらないと思ったら,この授業に出ちゃダメです」とまでおっしゃっていました(ちなみに,私が受けた「言語学概論」は選択科目でした).そこまでおっしゃるならと思い,従順だった,否,従順である私は,早速書店に行って,この本を買い,パラパラと読み始めたが最後,その日のほとんどをこの本に使ってしまいました.

特に,授業で取り上げた「ネズパース語研究一日目」を読んだ時の感動というのは,いまだによく覚えています.数詞の1から10までを聞いただけで,たちどころに次から次へと様々な問題に考えをめぐらす,その直観に驚嘆しました.そして,「あー,これが言語学というものか」と思うと同時に,「自分もやってみたいなぁ」などと漠然と思ったものでした.文字がなく,しかも,あまり研究のされていない言語を自分の力で解き明かしていく,その過程が実に魅力的に思えたわけです.極めて素直で単純な性格です.

今,私自身も北米先住民の言語の一つであるハイダ語を実際に研究しているわけですが,勿論,この本を読んだ当時は,自分が北米先住民の言語の記述に関わるなど,思ってもいませんでした.まぁ,どうしてそんな道に行ってしまったのか,その辺の話は別の機会に譲るとして,私自身の調査の第一日目は,こんな華麗なものではなく,当時90歳のおばあさんがお発しになるハイダ語だか英語だか分からない「ガラガラ,ッカー,ヒュルルルゥー」という音声学を超越した様々なオトに悩まされるという相当惨めなものでした.ま,今にして思えば,笑ってすませられる話ですが,当時は,大きな海原をひらひらと渡る一匹の蝶のような気持ちで,この先,この言語の研究が続けられるのだろうかと,本当に不安に思ったものでした.

自分が言語調査というものをいくばくか経験した後にこの本を読むと,「あー,それ,分かる,分かる」と思わず納得する箇所がいくつかあります.例えば,55頁に「仕事慣れがしないときは,気疲れがするものである.言語学者はことばの問題と,取り組まなくては安心できない」というのは,その一つ.私自身もやはり言語と取り組んでいる時が一番安らぐわけで,例えば,話者の人たちとの都合がうまく付かず,「じいさん/ばあさん待ち」をしている間は,気ばかり焦って,段々不安になってきます(ま,実際は,その時とばかり,遊んでいますが).逆に,調査による忙しさは,全く苦にも感じず,「あ,気が付いたら,もうこんな時間!」ということがしばしばです.私の授業を受けているみなさんとは逆の心境ということですね(申し訳ない話です).

勿論,この本では,こうした調査の面白さばかりが描かれているわけではなく,その陰の部分も書かれています.例えば,いわゆる「文化住宅」に押し込められたネズパースのおばあさんが何ヶ月かにわたって積み上げられた鮭の残骸と山のようになった汗臭い衣類の中で暮らす様子が紹介されていますが,それは,そのおばあさんがそれまでの伝統的な住居であったティーピーでの生活スタイルをそのまま文化住宅に持ち込んだからです.著者は,伝統文化の長所を失い,白人文化の長所が活かされていないと述べ,「一方的な近代化の理論」を批判しています.こういった問題は,すぐれて政治的で,また,個人で解決し得るものではありませんし,また,どこからどのように手をつけていいのか,部外者にはすぐに分かるものではありません.単なる同情心だけでは,解決し得ない,極めて繊細な問題だからです.ただ,こうした問題がネズパース族だけでなく,世界のいたるところで起きているということを世間に訴えていく必要はあります.本書は,言語学の面白さを学ぶだけでなく,そうした先住民の問題を考えるひとつのきっかけを与えてくれるものだと思います.

授業で使ったテキストは,1984年から出た「新版」ですが(元は1972年刊),その後,1998年に岩波書店から「岩波同時代ライブラリー」の一つとして復刊されました.しかし,それも絶版となってしまい,入手することが困難になってしまいました.全体を通して読んでみたいという人は,喜んでお貸ししますので,いつでも申し出てください.ま,私に借りたがために絡まれるのがイヤだという人は,古書店を探し歩くか,図書館で借りることをオススメしますが.
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by jjhhori | 2006-05-11 10:38 | テキスト