授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など


by jjhhori

「能格」について

今回は,かなり高度な内容,しかも,言語学を専門とする人ですら,あまり理解していないものを扱いましたので,その復習ということで,「能格」について,もう一度ここで触れておきたいと思います(もう一つの「抱合」については,別の機会にします).

「能格」について説明する前に,術語の整理をしておきましょう.まず,述語が自動詞である文を「自動詞文」(例:「一郎が走った」「二郎が酔っ払った」など),他動詞である文を「他動詞文」(例:「三郎が四郎を殴った」「五郎が六郎を殺した」など)といいます.ここで問題となるのは,自動詞文の主語となる名詞(以下,Sとします),また,他動詞文の主語となる名詞(以下,Aとします)と目的語となる名詞(以下,Oとします)がそれぞれどのような標識で表わされるかという点です.

まず手近なところで日本語をみてみますと,上の例にもあるように,

 自動詞文:一郎-ガ[S] 走った
 他動詞文:三郎-ガ[A] 四郎-ヲ[O] 殴った

自動詞文の主語「一郎」と他動詞文の主語「三郎」が同じ標識「ガ」で示され,他動詞文の目的語「四郎」だけが「ヲ」という違う標識で示されています.言い換えると,「ガ」は自動詞の主語と他動詞の主語の標識として使われるのに対し,「ヲ」は他動詞の目的語の標識として使われているということです.このように,自動詞の主語と他動詞の主語が同じ標識(これを「主格」といいます)で表わされ,他動詞の目的語だけが特別な標識(これを「対格」といいます)で示される言語を「主格・対格型」といいます.

これに対するのがここで問題となる「能格型」言語です.能格型においては,普通,自動詞の主語と他動詞の目的語が標識を一切とらず,他動詞の主語だけが特別な標識で示されます.例えば,能格型のひとつであるエスキモー語においては,自動詞文と他動詞文は,以下のように表わされます(0はゼロの標識,すなわち,何も付いていないことを表わします.便宜上,問題となる標識だけエスキモー語の形式で示します).

 自動詞文:一郎-0 [S] 走った(日本語訳:一郎が走った)
 他動詞文:三郎-m [A] 四郎-0 [O] 殴った(同:三郎が四郎を殴った)

この二つの文で,自動詞の主語「一郎」と他動詞の目的語「四郎」が同じ標識(-0:これを絶対格といいます)で示されているのに対し,他動詞の主語「三郎」だけが特別な標識(-m:これを能格といいます)で示されていることに注意してください(但し,エスキモー語学では,この-mを「関係格」と称しています).言い換えれば,絶対格は,自動詞の主語と他動詞の目的語を表わす標識として使われているのに対し,能格は,他動詞の主語を表わす標識として使われています.このように,自動詞の主語と他動詞の目的語を同じように扱い,他動詞の主語だけを特別扱いするのが能格型の言語の特徴です.

以上述べてきたことを,自動詞主語(S),他動詞主語(A),他動詞目的語(O)を表わす標識の異同によって整理しますと,

 主格・対格型:S=A≠O
 能格型:S=O≠A

ということになります.尚,理論的には,A=O≠S(すなわち,自動詞の主語だけ特別な標識をとる)という型も考えられなくもありませんが,実際には,こうした言語は,今のところ報告されていません.

ところで,自動詞の主語と他動詞の目的語を同じ標識で表わすというのは,一見,奇異に思われるかもしれませんが,日本語でも,その昔は,「花-0[S] 咲く」(自動詞文)「花-0[O] 見る」(他動詞文)といっていたのをみれば,能格型というのは,決して特異なものではありません.日本語の場合,格助詞が整備される以前は,むしろこうした表現の方が一般的だったわけで,現代の日本語において「ガ」と「ヲ」が用いられるようになる前は,(完全とはいえないまでも)多少能格的な性格があったのかもしれません.実際,現代でも口語では,格助詞を使わない表現の方がよく観察されます(例:「私帰る」「レポートやってない」など).

まぁ,言語学概論を聞いて2ヶ月かそこらで,能格を理解しろというのが土台無理な話です.しかし,いずれは,授業の中で出てきますので(たぶん),その時が来たら,このページを再度読み返してみてください.尚,能格について興味がある人は,千野栄一『注文の多い言語学』(1986年,大修館書店)の中の「特別料理『エルガティーフ』」というのをご覧ください(「エルガティーフ」は,「能格」のことです).その特別料理,おいしいかどうかは,読む人次第です.ちなみに,私が最初それを読んだのは,大学1年の時でしたが,あんまりおいしくなく,すぐに吐き出してしまいました(苦笑).
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by jjhhori | 2006-06-01 21:05 | テキスト