授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など


by jjhhori

「抱合」について

今回もテキストについてあれこれ書くと,いろいろと差し障りがありますので,テキストの内容については,あまり触れません(どうか事情を察してください!).幸い,授業において,抱合と複統合の違いに関する質問が出ましたので,今回は,それについて書きます.相当難しいですが,最後まで読み通してください.

まず,「抱合」というのは,自立的に現われ得る名詞と同じく自立的に現われ得る動詞が合体し,ひとつの動詞として機能する語を形成することをいいます.言い換えれば,名詞と動詞からなる合成動詞の一種であり,動詞が名詞をいわば抱きかかえるので,「名詞抱合」といいます.例えば,イロッホ語(Iroh)において “ska”「鹿」という名詞と“koros”「殺す」という動詞があった場合,それらを合成させた表現,すなわち,

  was-ska+koros-ta 「私が鹿を殺した」
    (was-:1人称単数主語,-ta:過去)

これが名詞抱合の例といえます(ハイフンは接辞の境界,+は合成を表わします).この場合,was-という1人称単数主語を表わす接頭辞と-taという過去を表わす接尾辞がその名詞と動詞が合わさっている形式(ska+koros)をいわば挟み込むようについていることで,この例は,ひとつの語であることが分かります.

これに対し,“ska”「鹿」,“koros”「殺す」がそれぞれ別々に(つまり,自立的に)現われることもあります.すなわち,

  ska-rur was-koros-ta 「私が鹿を殺した」
  鹿-を   1単主-殺す-過去

この場合は,上の「私が鹿を殺した」というのを,“ska-rur” と “was-koros-ta” の2語で表わしており,上の抱合的表現に対して,分析的表現といいます(つまり,「私が鹿を殺した」という概念を表わすのに二つの方法があるということです).ここで重要なのは,分析的表現で現われる名詞 “ska” と動詞 “koros” が,抱合的表現でもほぼ形をかえずに,そのまま現われているという点です.つまり,分析的表現と抱合的表現の両者において,用いられる名詞と動詞がほぼ同じ形式(あるいは,形式の上で関連付けることが可能)である点を押さえておいてください.

翻って,エスキモー語はどうでしょうか.テキストにあげられている例を再度,下に示します.

 qayar-pa-li-yug-a-qa
 カヤック-大きな-作る-たい-直説法他動詞-1人称単数主語・3人称単数目的語
 「俺はお前に大きなカヤックを作ってやりたい」

一見したところ,「カヤック」とか「作る」など,それぞれ名詞や動詞的概念がひとつの語の中で表わされている点で,上のイロッホ語の抱合的表現と似ているといえます.しかし,エスキモー語の場合,自立的に現われるのは,“qayar”(但し,自立的に現われる場合の形式は,“qayaq”)だけで,「作る」という概念を表わす-li はあくまでも接尾辞(つまり,他の要素に必ず付いて現われるもの)であって,自立的には決して現われることがありません.その点が自立的に現われ得る名詞と動詞を合成させてひとつの語を作ることのできるイロッホ語との大きな違いです.

一方,「複統合的」というのは,ひとつの語の中にどれだけ多くの形態素を含みこむことができるかという点(これを「統合度」といいます)からみた分類のひとつで,エスキモー語のように,ひとつの語の中に,かなり具体的な概念を表わす要素も多く盛り込むことができる言語をいいます.勿論,イロッホ語も名詞を抱合することによって,結果的にはひとつの語の中に多くの形態素を取り込んでいるわけですから,やはり「複統合的言語」ということができます.つまり,イロッホ語は,抱合的言語であると同時に複統合的言語であるといえますが,エスキモー語は,複統合的言語とはいえても,抱合的言語というのは適切ではないということです.

現在出されている言語学の入門書においては,この「複統合的」と「抱合的」を混同していたり,その両者を同一視していたりしているのがほとんどで,その両者の違いをきっちり書いているのは,皆無に近い状態です.この両者の用語の混同は,すでに20世紀初頭においてありましたが,その両者の違いを説き,抱合の最も明解な定義を与えたのは,言語学概論でおなじみのサピアです.「アメリカ諸言語における名詞抱合」という1911年の論文で,サピアは,具体例を示しつつ,抱合とは何かという問題を見事に解決しています.ちなみに,この論文,サピアが27歳の時のものですが,その論文を読むにつけ,自分は27歳の頃,一体何をやっていたのだろうと,サピアの天才ぶりと自分の凡才ぶりを比べては,ため息をついています(改めてため息).

[註]上にあげたイロッホ語は,架空の言語です(まぁ,逆から読めば・・・).
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by jjhhori | 2006-06-09 14:16 | テキスト