授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など


by jjhhori

ことばと記憶

まぁ,大層なタイトルですが,実際は大したことはありませんので,期待して読んではいけません.

確か今年の4月ぐらいだったと思いますが,「A*Cマート」という靴屋の新聞の折込ちらしをみていたら,当時2歳6ヶ月の娘がそのちらしをみて,「ママ,靴,買ったよねー.ペコちゃんの頭,なでなでしたよねー」と突然言い出しました.

その3ヶ月ぐらい前,娘の靴を買いに「A*Cマート」に行った時,妻が娘の靴を選んでいる間,私と娘は,その店の隣にある「不*家」の前でペコちゃんの頭をなでたり,叩いたり(乱暴です.笑)して,妻が出てくるのを待っていたことがありました.「A*Cマート」のちらしをみた娘は,その時のことを思い出して言ったわけです.

そのちらしをみて「A*Cマート」だということを娘が認識したのにまず驚きましたが,それ以上に,そのちらしを見るまでの約3ヶ月間,娘からその時の出来事を一度も話すこともなければ,私たちも話題にすらしたことがなかったにも拘わらず,娘が突如としてその時の話をしたことに驚きました.つまり,その時の光景は,彼女の頭の中でしっかりと記憶にとどめられながら,そのちらしをみるまで言語化されることがなかったということです.言語化されることがなかったのは,おそらく彼女の言語能力がそれを表わし得るほどに十分発達していなかったからでしょう.

このことは,「言語なしに思考や記憶ができるのか」という大きな問題につながってくると言えるでしょう.普通,私たちは,ある出来事を思い浮かべる際,もちろん,その映像が頭に浮かびますが,例えば,「あそこにペコちゃんがあったなぁ」というように,ある程度言語化されている,言い換えれば,言語の助けを借りて記憶しているところもあるのではないでしょうか.しかし,言語能力が十分発達していない娘をみる限りにおいては,ある出来事は,言語を介在することなく,映像としてそのまま記憶されていたのでしょう.そして,言語能力が発達するにつれ,その映像として記憶された出来事を言語化し得るようになったのではないかと思います.

「記憶」という行為に言語がどれだけ関与しているのか,あるいは,言語があることによってどれだけ「記憶」が容易になっているのか,それを考えるには,言語を介さない記憶を想像することすら困難になっているほど,私たちは,言語に縛られているといえます.

尚,ことばが十分発達していないからといって,子供の記憶をあなどってはいけません.実際,「どうせ覚えていないだろう」などと高を括ってごまかそうとしたら,まさに「天網恢恢,疎にしてもらさず」,見事,見破られて大変な思いをしたことが何度もあります.まぁ,これも子育ての面白さのひとつなのでしょうが,目下,「魔の2歳」(英語でいうところの"terrible two")真っ只中の娘を相手にしている私には,そうして笑ってすませられるほど,心のゆとりはありません(苦笑).
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by jjhhori | 2006-07-09 12:28 | ことば