授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など


by jjhhori

ユニバーサル

すべての言語に共通してみられる普遍的特徴を「ユニバーサル」とするならば,言語学の究極の目的は,このユニバーサルの探求にあるといってもいいでしょう.すなわち,ユニバーサルの問題は,言語とは何かという問いに直結してくるからです.

このユニバーサルに関しては,テキストにあげられているのとはまた違ったアプローチが出てくるなど,迷走を極めているのが現状です.例えば,今日の理論言語学では,いわゆる「普遍文法universal grammar」なるものを想定し,あらゆる言語事象をすべてそれで説明しようという研究が多くみられます.この「普遍文法」は,当然,テキストでいうところのユニバーサルとは全く異なる概念で,私にいわせれば,単なる理論上の虚構物にすぎません.そういうものがあると信じ,日本語や英語などニ三の言語を研究しただけで,それらに相通するからこれこれの事象は普遍文法だといって憚らない言語学者などは,「A君とB君は眼鏡をかけていて,ともに成績がいい.だから,眼鏡をかけている人はみんな頭がいい」という小学生(か,それ以下)と全く同じです.そのような議論には,裏づけが一切なく,また,演繹的に考えて,なぜそのような特徴が自然言語にとって必要なのかという視点が全くありません.何でも一般的な議論にもっていこうとするアメリカ流言語学の悪い影響を受けているのでしょうが,こういうのは,不毛な議論の何者でもありません.まずは,事実をしっかりと観察し,記述しないことには,いかなる仮説も砂上の楼閣になってしまいます.

ユニバーサルの問題を扱うには,どの言語にもあると思われる素材がどういうもので,それをどのように定義するかという問題も考えなくてはなりません.テキストに出ていた母音や子音などはその1つですが,それ以外にも,語,文などなど,一般的な用語でありながら,どの言語にも通用する定義が与えられていないものが実は多くあります.そのうち,語という単位を正面から捉え,その定義を試みた,

 宮岡伯人『語とは何か:エスキモー語から日本語をみる』(三省堂,2002年)

を今回の推薦図書としてあげておきましょう.

この本は,二重分節が発話から形態素へ,更に形態素から音素へという分析の方向であるのに対し,それぞれを統合する「結節」という方向があるのではないかと主張したものです.音声面における音と音の最小の結びつき(すなわち,「結節」)が「音節」であるとするならば,記号面における最小の結節が「語」であると考え,これまで等閑に付されてきた「語」の定義を見直したものです.

タイトルから分かるとおり,エスキモー語の例がふんだんに出てきますし,内容もかなり高度なので,1回読んだだけでは,とても理解できるものではありません.マルティネの本を十分理解してから,読み進めるといいでしょう.著者については,テキストの「言語調査」を参照(もっといえば,私の大学院の時の指導教官でした.あなおそろしや・・・).

ところで,三省堂から出た『言語学大辞典』の第4巻「世界言語編・下2」の最後に「編修後記」というのがあります(署名は,「編修委員会」となっていますが,実際の執筆者は,このテキストの著者).その末尾に,

「ここで示された事実は,一方では言語の多様性であり,他方では,そのような多様性にもかかわらず,なお,言語として1つの枠に入るという一定の共通性である」

という一文があります.その枠がすなわちユニバーサルかどうかはひとまずおくとして,それが何かを解明していくのが今後の言語研究の課題であるといえるでしょう.
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by jjhhori | 2004-06-08 17:14 | テキスト