偲ぶ会
2007年 05月 28日
後期に入ってから少しは書くといいながら,気がついたら,もう年度がかわり,5月もまもなく終わろうとしています.そんな中,久々の更新です.
話は,昨年(2006年)の11月までに遡ります.11月のとある日,チャペック兄弟協会から1通の封書.名ばかりの会員である私には,あまり関係がないことだろうと思いつつ,封を切ってみると,2002年に亡くなられた恩師を偲ぶ会の開催のお知らせでした.場所は,新宿のライオン,時は,暮れの差し迫った12月某日.飯島周・小原雅俊(編)『ポケットのなかの東欧文学:ルネッサンスから現代まで』(成文社)という翻訳選集が先生を追悼して出版された機会に,偲ぶ会を開くということのようでした.
しかし,新宿のライオンといえば,当時,朝日カルチャーセンターで先生のチェコ語講座を受講していた人たちが授業の後,先生を囲んでビールを飲み交わしたところであり,そもそも,下戸の私にとっては,ちょっと行きにくい.しかも,案内を送ってくださったのがチャペック協会の世話人の方であり,偲ぶ会に来るのは,ほとんどがチャペック協会関係者と(それとかなり重なるであろう)朝カル関係者とあれば,尚更,行きにくい.まぁ,そんなことを考えつつ,行くかどうか逡巡していたら,私の友人から「そんなことを言わず,ぜひ行きましょうよ」という強いお誘いがあり,それで行くことにしました.
大阪から上京してきたその友人と待ち合わせて,会場に着いてみると,果たして,ほとんど見知った顔はなし.「あー,やっぱり場違いだったか」と思いながら,辺りを見回していると,やはり同じような気持ちで知った顔を探す知己あり.お互い顔を見合わせ,「おやおや,どうしてまたここに?」といった話をしていると,別のテーブルには,G大関係者がチラホラ,更には,K大のスラブ語学のS先生もいらしているのを発見し,少しばかり安心しました.まぁ,それでも,言語学関係者(と一括りしましょう)は,ごく僅かで,ほとんどがチャペック協会(兼朝カル関係)の人たちでした.
このようなわけで,少しばかり居心地の悪さを感じ,身の置き場に困っているうちに,会が始まりました.先生と古くから親交がおありの元T大のS先生や元G大のK先生などが昔話をなさり,更には,朝カルでチェコ語の授業に出ていたという方々の思い出話を聞いているうちに,会場が何となく先生を慕う気持ちでひとつになり,そのそれぞれの思い出を共有するような,そんな雰囲気に包まれていきました.
私自身は,大学での先生,しかも言語学という狭い世界での先生しか存じ上げなかったのですが,スラブ語学,チェコ文学,ポーランド文学など,実に多くの人たちがそれぞれの立場で先生のご学恩を感謝し,先生との思い出のひとつひとつを大事にしているということに感銘を受けました.普通なら,蛙の子は蛙,言語学の先生からは言語学の研究者しか育たないものですが,一人の先生から実に幅広い分野で活躍する専門家が育つというのは,驚くべきことではないでしょうか.
さて,先生を追悼して出版された『ポケットのなかの東欧文学』,私は買うだけ買って,パラパラめくった程度しか読んでいませんが(いつか読みますよ,きっと),その翻訳に付された作品をみてみても,時代的に幅が広く,しかも東欧をほぼ網羅する,おそらく初の試みであることが分かります.これだけの人材が揃うのは,少し昔なら到底考えられることではありません.これは,やはり,とりもなおさず,ひとえに先生のご学恩の広さを表わすものといえるでしょう.文学関係の方々がこのような一書を出したその一方で,言語学の人たちも先生のご学恩に報いるべく,言語学における先生の学殖の広さを示すような本を出す必要があるのではないかと,帰る道すがら,考えていました.まぁ,とはいっても,思っただけです,思っただけ.でも,そういう本が出たらいいなぁとは思っています.
と,実は,ここまでは,3月の半ばに書いたのですが,その後,推敲をしようと思っているうちに,忙しさにかまけ,時はすでに5月.今年度の「言語学基礎演習」もすでに始まっていますので,それ関連のネタをまた書いていきたいと思っています.いや,思っているだけです,思っているだけ(?).
話は,昨年(2006年)の11月までに遡ります.11月のとある日,チャペック兄弟協会から1通の封書.名ばかりの会員である私には,あまり関係がないことだろうと思いつつ,封を切ってみると,2002年に亡くなられた恩師を偲ぶ会の開催のお知らせでした.場所は,新宿のライオン,時は,暮れの差し迫った12月某日.飯島周・小原雅俊(編)『ポケットのなかの東欧文学:ルネッサンスから現代まで』(成文社)という翻訳選集が先生を追悼して出版された機会に,偲ぶ会を開くということのようでした.
しかし,新宿のライオンといえば,当時,朝日カルチャーセンターで先生のチェコ語講座を受講していた人たちが授業の後,先生を囲んでビールを飲み交わしたところであり,そもそも,下戸の私にとっては,ちょっと行きにくい.しかも,案内を送ってくださったのがチャペック協会の世話人の方であり,偲ぶ会に来るのは,ほとんどがチャペック協会関係者と(それとかなり重なるであろう)朝カル関係者とあれば,尚更,行きにくい.まぁ,そんなことを考えつつ,行くかどうか逡巡していたら,私の友人から「そんなことを言わず,ぜひ行きましょうよ」という強いお誘いがあり,それで行くことにしました.
大阪から上京してきたその友人と待ち合わせて,会場に着いてみると,果たして,ほとんど見知った顔はなし.「あー,やっぱり場違いだったか」と思いながら,辺りを見回していると,やはり同じような気持ちで知った顔を探す知己あり.お互い顔を見合わせ,「おやおや,どうしてまたここに?」といった話をしていると,別のテーブルには,G大関係者がチラホラ,更には,K大のスラブ語学のS先生もいらしているのを発見し,少しばかり安心しました.まぁ,それでも,言語学関係者(と一括りしましょう)は,ごく僅かで,ほとんどがチャペック協会(兼朝カル関係)の人たちでした.
このようなわけで,少しばかり居心地の悪さを感じ,身の置き場に困っているうちに,会が始まりました.先生と古くから親交がおありの元T大のS先生や元G大のK先生などが昔話をなさり,更には,朝カルでチェコ語の授業に出ていたという方々の思い出話を聞いているうちに,会場が何となく先生を慕う気持ちでひとつになり,そのそれぞれの思い出を共有するような,そんな雰囲気に包まれていきました.
私自身は,大学での先生,しかも言語学という狭い世界での先生しか存じ上げなかったのですが,スラブ語学,チェコ文学,ポーランド文学など,実に多くの人たちがそれぞれの立場で先生のご学恩を感謝し,先生との思い出のひとつひとつを大事にしているということに感銘を受けました.普通なら,蛙の子は蛙,言語学の先生からは言語学の研究者しか育たないものですが,一人の先生から実に幅広い分野で活躍する専門家が育つというのは,驚くべきことではないでしょうか.
さて,先生を追悼して出版された『ポケットのなかの東欧文学』,私は買うだけ買って,パラパラめくった程度しか読んでいませんが(いつか読みますよ,きっと),その翻訳に付された作品をみてみても,時代的に幅が広く,しかも東欧をほぼ網羅する,おそらく初の試みであることが分かります.これだけの人材が揃うのは,少し昔なら到底考えられることではありません.これは,やはり,とりもなおさず,ひとえに先生のご学恩の広さを表わすものといえるでしょう.文学関係の方々がこのような一書を出したその一方で,言語学の人たちも先生のご学恩に報いるべく,言語学における先生の学殖の広さを示すような本を出す必要があるのではないかと,帰る道すがら,考えていました.まぁ,とはいっても,思っただけです,思っただけ.でも,そういう本が出たらいいなぁとは思っています.
と,実は,ここまでは,3月の半ばに書いたのですが,その後,推敲をしようと思っているうちに,忙しさにかまけ,時はすでに5月.今年度の「言語学基礎演習」もすでに始まっていますので,それ関連のネタをまた書いていきたいと思っています.いや,思っているだけです,思っているだけ(?).
by jjhhori
| 2007-05-28 18:39
| 裏話