言語学基礎演習的裏番組
2008-02-24T17:08:40+09:00
jjhhori
授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など
Excite Blog
鈴木孝夫・田中克彦『対論 言語学が輝いていた時代』
http://jjhhori.exblog.jp/6796592/
2008-02-24T16:12:00+09:00
2008-02-24T17:08:40+09:00
2008-02-15T16:12:37+09:00
jjhhori
紹介
2月のとある日,久々に本屋めぐりをし,今まで気になっていた本を一気に何冊か買い込んできました.今日紹介するのは,そのうちの1冊です.
この本が出ることは前々から知っていましたが,この著者(対談者)のお二人のうちのお一方は,私の恩師が「バカだ」とさんざん評していらっしゃった方であり,そういうのが頭にあったせいか,最初から買うつもりはありませんでした.しかし,本屋で立ち読みし始めたら,特に第1章の「回想の言語学者たち」にはまってしまい,立ち読みするのが面倒になって即お会計,その続きを近くの喫茶店で一気に読んでしまいました.
第1章に登場するのは,服部四郎,村山七郎,亀井孝,江実,井筒俊彦,高津春繁などなど,日本の言語学史において一時代を築いた言語学者であり,その業績や日本の言語学における位置づけ,更に,著作からは伺い知れない人となりや思想が語られ,実に興味深いものがあります.やはりそれは,このお二方が戦後に言語学を始め,それらの言語学者が中心的存在となって言語学を牽引していた,そういう時代の中を経験したからでしょう(ただ,記憶から語られているため,とんでもない間違いもいくつか含まれていますが).
三重のど田舎から「笈を負って」出てきた服部四郎,それを小馬鹿にしていた亀井孝,田中氏の留学のための推薦状を書いている最中に突然ショパンを弾きだす村山七郎などなど,そういった人たちを敬愛の情とそこからくる反発の情で捉えているところが本書の第一章の面白さかもしれません.勿論,そのようなエピソードだけでなく,アメリカ構造主義言語学が日本でどのように受け入れられ,更に,その限界がどのように感じられていたか,更に,本場のアメリカではどのようであったかなど,単に文献を読み解くだけでは感じ得ない,その時代の息吹のようなものが随所に現われています.同時代人として生きた著者がその時代の当事者たる言語学者から直接聞いたことばは,何をおいても興味深いものがあります.
そうした錚々たる言語学者のことばの中ではっとしたのが河野六郎によるソシュールの(弟子が作りあげた)『一般言語学講義』に対する「あんなに実用的な本はない」という批評です.
ところで,1988年(今から20年前です・・・)に出た三省堂の『言語学大辞典』の第1巻に「刊行の辞」というのがあります.これは,編著者3人が話し合って内容を決め,編著者を代表して河野六郎先生がお書きになったものですが,その中に,ソシュールが「常識的で分かりやすい,技術的な術語をいろいろ作り出した」とあります.その直後に例として,共時態と通時態や,ラングとパロールの区別など,具体的にあげられていますが,私は,最初それを読んだ時,「あれ?」と思うと同時に,「言われてみればそうだ」と妙に納得したのを覚えています.「あれ?」と思ったのは,当時の私にとっては,ソシュールはちんぷんかんぷん,それを補うために出された数々のソシュール概説書や理論書の類もちんぷんかんぷんだったからでしょう.まぁ,言語学を学び始めてまだ日の浅い当時の私にしてみれば当然ですけど,そうした経験がソシュールは難解だと思わせたのは間違いありません.
しかし,考えてみたら,その『一般言語学講義』は,ソシュールがジュネーブ大学で行なった講義を聴いた弟子たちが自分たちのノートをかき集めて作り上げたものであり,「あの時のあのことばにはこんな事実が隠されていた!」という一種の謎解きみたいなことをしても仕方ないのかもしれません.まぁ,確かに聞いて分かりにくい授業というのはありますし,表現の仕方の巧拙によって,真意が伝わらないということは十分あり得ますが(苦笑),「私が授業でいうことの真意はね,実はこういうことなんですよ」なんて思いながら,授業をする人など果たしているんでしょうか.まぁ,ソシュール先生と自分の授業を同列に扱うつもりは毛頭ありませんが,ソシュールは,案外,もっと明解なことばで語っていたのかもしれませんし,それを弟子たちが難しくしてしまった,あるいは,後の人がソシュールをあがめるあまり,「実はこうに違いない」と穿った(?)見方をしだしたからかもしれません.ちなみに,河野先生のそのことばを直接聞いた田中氏は,「(ソシュールを)よく分からない人だけがひねくりまわして無理に神秘的にしている」といっています.
さて,本書のタイトルは,「言語学が輝いていた時代」です.では,今はどうなのか.本書によれば,言語学は,「下火どころか,もうほとんどご臨終」だそうです.どうしてそのように思われるのか,その理由は,本書によれば,言語学がまず方法論ありきになってしまい,そこから対象をどんどん限定的にしてしまったからです.まぁ,そういわれると,私にも思い当たる節がありますので,ぐうの音も出ないのですが,英語至上主義,一方では,国語大好き主義(と,仮にいいましょう)がかまびすしい中,言語学が社会に対してどのように存在意義を訴えていくのかを問い直す時に来ているのかもしれません.
本の情報:鈴木孝夫・田中克彦『対論 言語学が輝いていた時代』(岩波書店,2008年)]]>
いい授業とは?
http://jjhhori.exblog.jp/5704166/
2007-06-09T21:23:00+09:00
2007-06-12T18:46:22+09:00
2007-06-07T21:23:04+09:00
jjhhori
授業
それは,学部生の時に受けたもので,中国音韻学に関する授業でした.中国音韻学というのは,7世紀の中国語の音韻体系を明らかにし,それをいわば祖語と見立てて,そこから現代の中国語(と諸方言)に至る音韻変化のプロセスを明らかにする分野ですが,私は,その授業を受けて,「いやぁ,これはすごい!」と,その奥の深さと幅の広さに毎回圧倒されたものでした.
しかし,その授業,実際に履修登録をしていた人はそれなりにいたと思いますが(おそらくそれでも20人はいっていないはず),実際の授業に出ている人は,5~6人程度,毎回ほぼ出ている人といったら,3人ぐらいという,ある意味,人気のない授業でした.たぶんそれは,内容が極めて高度であること,また,金曜日の5コマという,ほとんどの人がバイトに勤しむ時間帯であったからでしょう.しかも,担当の先生も熱く語るというわけでもなければ,冗談を連発して教室を沸かすというわけでもなく,事実をただ淡々とお話になる,要するに,眠気を誘発するすべての条件が整った授業だったわけです.
それでも,私は,この授業が面白く,毎回楽しみに出席し,授業中も寝ることなく,熱心に先生のお話を聞き,ノートをとっていました.私のいた大学は,いわば専門学校に毛の生えたようなところで,学問をじっくり味わうなどというそういう授業がなかったのですが,その授業は,そうした中にあって,学問への渇きを癒してくれる,まさに格別の存在だったのです.
内容は確かに難しく,実際,その授業に出ていた人たちの間でも大して評判はよくありませんでした.おそらく今流のアンケートをとったら,「難しい」だの「話が単調」だの,散々書かれるところでしょう.しかし,私には,先生のお話しぶりがどうだとかそういうことは一切問題ではなく,先生が説かれることによって,目の前の絡まった糸がほどけていくその様が実に爽快で,それを楽しみに毎回の授業に出ていました.極めて静かな雰囲気の授業でしたが,私は,ただ一人,興奮して授業を受けていたわけです(怪しい人ではありません,念のため).
その授業(通年)は,先生がお書きになった概説(ワープロ打ち)をテキストにして進められましたが,最後のレポートは,その100頁を超える概説を原稿用紙5枚程度(!)にまとめろというものでした.原稿用紙に換算すれば,300枚以上に及ぶものを5枚にまとめろというわけです.これには,難儀しました.が,レポートは,自分が熱心に講義を聴いたという証であり,それを先生に認めていただくには,へなちょこなレポートを書くわけにはいかないと思い,その概説を読み返してはレポートを書き,また,必要に応じて参考文献を読んではレポートを書くということを繰り返しました.レポートを書くのに文字通り呻吟したのは,後にも先にもこのレポートだけでした.それでも何とかレポートを出し,「優」をもらった時の嬉しさは,本当に格別なものがありました.
これには,まだ続きがあります.その先生とは,大学を卒業してからはお目にかかることがなかったのですが,私が静大に来てから2年目の時,その先生を集中講義でお呼びすることになりました.その時から5~6年ばかり経っていましたので,先生の方では,私のことなんぞおぼえていらっしゃらないかと思い,
「あのー,昔,G大で先生のご講義に出ていたんですが・・・」
と申し上げると,
「あー,あなた,ここにいたのですか.覚えていますよ.
あの時のレポート,よく書けていましたねぇ,今でも大事にとっていますよ」
とおっしゃってくださったのです.正直恥ずかしい気もしましたが,その時,先生のご講義を熱心に聴いた証として書いたレポートが先生のお目に留まったことを知り,学生時代に「優」をいただいた時と同じ(かそれ以上の)感激を再度味わうことができました.
「話し方はどうか」とか「板書がどうか」とか「内容がどうか」とか,授業アンケートのそういう設問を見るたびに,私は,その先生の授業のことをよく思い出します.先生は,「韻がどうだ」とか「摂がどうだ」とか,まぁ,客観的にみれば面白くもおかしくもない話をただ楽しそうに,淡々とお話になるだけでしたが,そのお話しぶりから,先生がその分野を長年研究してこられたご経験とご学殖,それから学問に対する熱意や愛情を感じ取ることができました.「話し方がどうだ」とか「板書がどうだ」とか,そういう瑣末なことを超越したのがやはり本物であり,その味が分かるのは,おそらくその時ではなく,後々何年も経ってからではないでしょうか.その授業は,出席していた頃からそのすごさに毎回圧倒されたものですが,本当の意味でのすごさがうすうす分かってきたのは,卒業してから何年も経った後のことでした.
要するに,みなさんが卒業してから何年か経って,「あー,あの時のアレは,コレのことかぁ.よし,もう一度,言語学をやってみよう!」と思ってもらえるような授業というのが私の理想とするものです.そのためには,私自身が本物の味をかもし出すべく,研究に励まなくてはならないわけですが,その先生の境地に達するのは,あと何十年先か,否,永遠に無理なのかなぁと,期待半分,諦め半分が交じり合う,今日この頃です.いずれにしても,「社会に出たらすぐに役に立つ」という即物的・実用主義的な授業などはやなり偽者であって,そのような授業をするつもりは毛頭ありません(まぁ,時代遅れの考え方でしょうねぇ・・・).
尚,授業アンケートについて一言書きますと,時折,匿名であることをいいことに,ボロクソ書く人がいます.まぁ,当たっているものもありますが,人のことを貶めるような意見は,私は全て無視するようにしています.そういうことばかり気にしていたのでは,授業はできませんし,精神衛生上よろしくありません(勿論,聞く耳をもたないといっているわけではありませんよ).では,どのようなのが私に響くのか.答えは,簡単,おだてることです.そうすれば,極めて単純な精神構造しかもっていない私は,「よし,この調子で,次回も頑張ってやろう!」と思うこと間違いありません(まぁ,あらぬ方向に頑張りだしたら,みなさんには,迷惑でしょうねぇ・・・).「いい授業」というのは,本当に難しいものです.]]>
偲ぶ会
http://jjhhori.exblog.jp/5232694/
2007-05-28T18:39:00+09:00
2007-05-28T17:46:30+09:00
2007-03-13T18:39:45+09:00
jjhhori
裏話
話は,昨年(2006年)の11月までに遡ります.11月のとある日,チャペック兄弟協会から1通の封書.名ばかりの会員である私には,あまり関係がないことだろうと思いつつ,封を切ってみると,2002年に亡くなられた恩師を偲ぶ会の開催のお知らせでした.場所は,新宿のライオン,時は,暮れの差し迫った12月某日.飯島周・小原雅俊(編)『ポケットのなかの東欧文学:ルネッサンスから現代まで』(成文社)という翻訳選集が先生を追悼して出版された機会に,偲ぶ会を開くということのようでした.
しかし,新宿のライオンといえば,当時,朝日カルチャーセンターで先生のチェコ語講座を受講していた人たちが授業の後,先生を囲んでビールを飲み交わしたところであり,そもそも,下戸の私にとっては,ちょっと行きにくい.しかも,案内を送ってくださったのがチャペック協会の世話人の方であり,偲ぶ会に来るのは,ほとんどがチャペック協会関係者と(それとかなり重なるであろう)朝カル関係者とあれば,尚更,行きにくい.まぁ,そんなことを考えつつ,行くかどうか逡巡していたら,私の友人から「そんなことを言わず,ぜひ行きましょうよ」という強いお誘いがあり,それで行くことにしました.
大阪から上京してきたその友人と待ち合わせて,会場に着いてみると,果たして,ほとんど見知った顔はなし.「あー,やっぱり場違いだったか」と思いながら,辺りを見回していると,やはり同じような気持ちで知った顔を探す知己あり.お互い顔を見合わせ,「おやおや,どうしてまたここに?」といった話をしていると,別のテーブルには,G大関係者がチラホラ,更には,K大のスラブ語学のS先生もいらしているのを発見し,少しばかり安心しました.まぁ,それでも,言語学関係者(と一括りしましょう)は,ごく僅かで,ほとんどがチャペック協会(兼朝カル関係)の人たちでした.
このようなわけで,少しばかり居心地の悪さを感じ,身の置き場に困っているうちに,会が始まりました.先生と古くから親交がおありの元T大のS先生や元G大のK先生などが昔話をなさり,更には,朝カルでチェコ語の授業に出ていたという方々の思い出話を聞いているうちに,会場が何となく先生を慕う気持ちでひとつになり,そのそれぞれの思い出を共有するような,そんな雰囲気に包まれていきました.
私自身は,大学での先生,しかも言語学という狭い世界での先生しか存じ上げなかったのですが,スラブ語学,チェコ文学,ポーランド文学など,実に多くの人たちがそれぞれの立場で先生のご学恩を感謝し,先生との思い出のひとつひとつを大事にしているということに感銘を受けました.普通なら,蛙の子は蛙,言語学の先生からは言語学の研究者しか育たないものですが,一人の先生から実に幅広い分野で活躍する専門家が育つというのは,驚くべきことではないでしょうか.
さて,先生を追悼して出版された『ポケットのなかの東欧文学』,私は買うだけ買って,パラパラめくった程度しか読んでいませんが(いつか読みますよ,きっと),その翻訳に付された作品をみてみても,時代的に幅が広く,しかも東欧をほぼ網羅する,おそらく初の試みであることが分かります.これだけの人材が揃うのは,少し昔なら到底考えられることではありません.これは,やはり,とりもなおさず,ひとえに先生のご学恩の広さを表わすものといえるでしょう.文学関係の方々がこのような一書を出したその一方で,言語学の人たちも先生のご学恩に報いるべく,言語学における先生の学殖の広さを示すような本を出す必要があるのではないかと,帰る道すがら,考えていました.まぁ,とはいっても,思っただけです,思っただけ.でも,そういう本が出たらいいなぁとは思っています.
と,実は,ここまでは,3月の半ばに書いたのですが,その後,推敲をしようと思っているうちに,忙しさにかまけ,時はすでに5月.今年度の「言語学基礎演習」もすでに始まっていますので,それ関連のネタをまた書いていきたいと思っています.いや,思っているだけです,思っているだけ(?).]]>
世界の絵本がやってきた:ブラティスラヴァ世界絵本原画展
http://jjhhori.exblog.jp/4581410/
2006-10-30T16:57:08+09:00
2006-10-30T16:57:08+09:00
2006-10-27T18:25:25+09:00
jjhhori
紹介
中国語でいえば「天高気爽」という表現にぴったりなある日の午前,静岡アートギャラリーで開かれている「世界の絵本がやってきた:ブラティスラヴァ世界絵本原画展」を見てきました.
「ブラティスラヴァ世界絵本原画展」は,1967年に第1回目が行なわれ,2年ごとにスロヴァキアの首都ブラティスラヴァで開催されているものです.静岡アートギャラリーでは,2005年秋に開かれた第20回の同展から,各国の受賞作品と日本人による出品作が紹介されています.そちらの方もかなり充実した,素晴らしい展示でしたが,私の心をひいたのは,チェコの1920~30年代の絵本と原画の併設展でした.
その時代のチェコの代表的な絵本作家といえば,イジー・トゥルンカ(1912-1969),ヨゼフ・チャペック(1887-1945)などなど.ヨゼフ・チャペックは,かのカレル・チャペック(1890-1938)の兄で,画家あるいはグラフィック・デザイナー,劇作家などとして幅広く活躍しました.実は,私は,日本チャペック兄弟協会の会員なのですが,かといってチャペックに詳しいというわけではなく,日本チャペック兄弟協会は,私の言語学の恩師が設立した団体であるという理由で入会した,まぁ,不届きな会員です.
今回の併設展に出されたチェコの絵本とその原画の多くは,個人所蔵のもので,私は,「もしかしてもしかすると!」という期待を込めて,その展示に行きました.というのも,私の恩師は,蒐書家で有名な方で,そのコレクションは,ご自身のご専門のスラブ系の言語のみならず,東欧のあらゆる時代のあらゆるジャンルの本に亘り,かなりの数の稀覯書もお持ちでいらっしゃいました.そのうち,1920~30年代にヨゼフ・チャペックが装丁した古書でご自身で集められたものを『チャペックの本棚:ヨゼフ・チャペックの装丁デザイン』(ピエ・ブックス,2003年)として1冊にまとめられています.ちなみにその先生には,チェコの文学作品だけでなく,絵本の翻訳もいくつかあります.
まぁ,そういうようなわけで,もしかすると今回展示されているのは,その先生の蔵書かなと期待して行ったのですが,聞いたところによると,それらの蔵書本は,チェコの方のものだということで,私の期待は外れてしまいました(ただ,その時,学芸員の方がいらっしゃらなかったので,確かかどうかは分かりません.また,今回の展示は,全国を巡回しているものであり,必ずしも静岡アートギャラリーの企画によるものではないので,そういった細かいことまではご存じなかったのかもしれません).
しかし,展示そのものは,実に見事なもので,上にあげた著名な作家の作品だけでなく,日本の昔話をチェコ語に翻訳したものまでありました.1920年代前後にすでに日本の昔話がチェコに紹介されていたんですねぇ.驚きました.また,それぞれの作品の概要を載せた資料がもらえましたので,表紙をみながら,その絵本の中でどのような話が展開されているのかを知ることができました.
チェコだけでなく,東欧にも優れた絵本はたくさんあり,実際,かなりのものが翻訳されていて,選ぶのに迷うぐらいです.その中で,私の娘は,マレーク・ベロニカというハンガリーの作家の絵本,とりわけアンニパンニという女の子とブルンミという小熊を主人公にしたものがお気に入りのようで,アンニパンニシリーズの日本語版は,ほとんど揃えたくらいです(ただ,日本語訳がどうもこなれていないのが難点).また,同じ作家の作品で『ラチとらいおん』(福音館書店)というのも,やはりお気に入りの一冊のようです.その『ラチとらいおん』の訳者は,ハンガリー語学の碩学・徳永康元先生.徳永先生は,上に述べた私の恩師の師匠で,以前,この「裏番組」でも紹介したことがあります.『ラチとらいおん』が翻訳されたのは,1965年,今から40年前ですが,プリントを重ね,今日でも新刊で手に入るところをみると,相当人気のある作品なのでしょう.ちなみに,最近は,マレークさんの絵本のキャラクターをつけた様々なグッズが売られているようです.
と,まぁ,最後に,何とか言語学に結びつけたわけですが,それはさておき,絵本の奥深さを感じさせる,なかなか素晴らしい展示でしたので,是非ともお薦めしたいと思います(ちなみに,静岡アートギャラリーに行くと,その隣のホテル・センチュリー静岡のレストランなどの10%割引券がもらえます).絵本の世界に浸りつつ,自分のお気に入りの1冊を探すだけでなく,将来,子供ができた時に読んであげたい1冊を探したりと,いろいろと楽しめます.絵本というのは,様々な想像をかきたてるものだとつくづく感じました.
[情報]
「世界の絵本がやってきた:ブラティスラヴァ世界絵本原画展」
「(特別展示)チャペック兄弟,ラダ,トゥルンカ:チェコ絵本の黄金時代」
場所:静岡アートギャラリー
開催日:2006年11月26日(日)まで(午前10時~午後7時).
入館料:一般1,000円,大高生800円]]>
大島正二著『漢字伝来』
http://jjhhori.exblog.jp/4487867/
2006-10-20T21:13:55+09:00
2006-10-20T21:13:55+09:00
2006-10-12T19:45:36+09:00
jjhhori
紹介
本書は,日本語が如何にして漢字を受け入れたかという,文字からみた文化交流史を概説したものです.私たちは,普段,漢字を当然のように使っていますが,少し考えてみると,漢字を使っていること自体,実は,とても不思議なことです.というのも,漢字は元来,中国語という日本語とは違った構造をもつ言語を表わすために創られたものであり,日本語を書き表わすには適さない文字だからです.すなわち,言語類型論的にいえば,中国語は,原則的に1つの語が1つの形態素からなり,いわば,語が構造をもたない「孤立語」であるのに対し,日本語は,語幹にさまざまな要素が随意的に付いて語が形成される「膠着語」であり,両者の間には構造的に大きな隔たりがあります.そうした構造的に大きく異なる言語を表わすために創られた文字を日本語に当て嵌めようとしたのですから,様々な工夫が必要だったことが容易に想像できるでしょう.本書は,漢字を日本語に如何に適用させていったかを説いたものであり,そこに本書の面白さがあるといえます.
そもそも,漢字は,1つの字が1つの形態素を表わし,それがそのまま語に対応しているわけですから,漢字は,語を表わす表語文字であり,しばしばいわれるように表意文字というのは正確ではありません.つまり,個々の漢字は,実質的な意味を担った単位を表わすわけですが,日本語には,実質的な意味をもたず,単に文法的な意味しかもたない(国文法でいうところの)助詞や助動詞(実際にはその多くは接尾辞)があり,実質的な意味を担った単位を表わす漢字でそれらを表わすには無理があります(尚,誤解を防ぐために付言しておくと,中国語にも助詞などに相当するものはあります).言い換えれば,中国語は,実質的な意味を担う単位が石ころのようにポツポツと配置されるので漢字で十分対応できるのですが,日本語に漢字を適用する際には,石ころはともかくとして,石ころ同士をつなぎ合わせる接着剤のような要素を漢字でどのように表わすのかが大きな問題としてあったということです.
また,中国の周辺でも多くの言語が漢字の影響を受け,その受容を試みていますが,例えば,日本語と言語構造が似ている朝鮮語は,日本語ほど漢字が浸透せず,ハングルという独自の文字を開発しました.一方,中国語と構造が似ているベトナム語においても漢字は浸透せず,やはりローマ字による正書法が確立されました.つまり,日本語において漢字が浸透したという事実は,漢字の影響を受けたそれらの言語の中において例外的であったということですが,それを可能にさせたのは,表語的な漢字から表音的な仮名を作り出したこと,それから,漢字を日本語の語にそのまま当て嵌める訓読みという方法を案出したことです.本書は,このような事実を踏まえ,先人が如何に工夫して漢字を取り入れたかを説いており,その過程を知るための格好の入門書といえるでしょう.また,補章として「日本漢字音と中国原音の関係を知るために」というのがあるのも,まさに痒いところに手が届く配慮だと思います.
著者の大島正二先生は,中国語学,とりわけ,昔の中国語の音韻の解明を図る中国音韻学の大家です.実は,私は,大学院の時に,大島先生の授業を1年間受けたことがありました.中国語学・文学専修の学部3・4年生を対象にした授業で,内容は,中国の言語学史を扱うものでした.義書(漢字の意味を説明する書)に始まり,字書(漢字字典.その代表は,許慎の『説文解字』),そして,韻書(発音辞典)の一部に話が及び,最後は,中古中国語の音韻体系の再構とその問題を解説され,かなり高度なものでした.ただ,その当時,大島先生は,学部長をなさっていたために,休講が多く,その点がとても残念でした. ちなみに,その授業の内容は,後に『中国言語学史 増訂版』(汲古書院,1998年),また,『辞書の発明―中国言語学史入門』(三省堂書店,1997年)として上梓されました.前者は,専門的な内容ですが,後者は,一般向けに書かれたもので,これもお薦めの一書です.
言語学専攻の学生であったにも拘わらず,わざわざ先生に頼み込んで授業を受けさせていただいたのは,内容が面白そうだということに加え,私の言語学の恩師が「大島さんはとてもいい人だから,授業は受けておいた方がいい」とお薦めになったからでもありました.私の恩師は,その世界では,毒舌をもって知られる方で,「あいつはバカだ・ダメだ」とおっしゃるのはよく聞いていましたが,「あの人はとてもいい人だ」とおっしゃるのは極めて稀(?)でしたので,そういうこともあって受講したわけです.今にして思えば,大島先生の授業に出たのは,とても幸運なことでした(しみじみ).
大島先生には,同じく岩波新書から『漢字と日本人―文化史をよみとく―』(2003年)というのがあり,こちらは,中国において漢字がどのように捉えられてきたのかを概説したもので,本書と併せて読むことをぜひとも薦めたいと思います.
尚,折りしも,万葉仮名の最古の木簡資料が出土したというニュースがありました.これまでの定説よりも20~30年ほど遡る,大化の改新(645年)辺りに,万葉仮名が確立したことを示す資料であり,漢字を表音文字的に用いたそのプロセスを解明する上で,極めて貴重な資料といえるでしょう.
本の情報:大島正二『漢字伝来』(岩波新書,2006年)]]>
ふたたび電子辞書について
http://jjhhori.exblog.jp/4365166/
2006-09-26T14:00:07+09:00
2006-09-26T14:00:07+09:00
2006-09-26T11:07:17+09:00
jjhhori
ことば
さて,今回もまたしつこく辞書,特に電子辞書について述べたいと思います.電子辞書に関しては,6月29日の「裏番組」でも取り上げましたが,その後,7月24日の『読売新聞』の朝刊に,電子辞書が売り上げを伸ばす一方,紙の辞書はその存続が危ぶまれるほどに落ち込んできているという記事が出ました.この「裏番組」で私が心配していたことが現実に起きているというわけです.
その記事によると,電子辞書市場は,2006年度見込みで655億円(340万台)の売り上げ(カシオ調べ)があるのに対し,紙の辞書は約10年前の1200万冊から現在は800万冊以下にまで落ち込み,売り上げも200億円以下(つまり,電子辞書の売り上げの三分の一以下)にまで下落しているそうです(但し,ここでいう「紙の辞書」がどの範囲のものまでを含むのかは,不明です).紙の辞書の売り上げが落ちると,「従来通りの辞書作りができるかどうか未知数」(大修館書店)だそうで,電子辞書に搭載されない多くの辞書は,そもそも改訂や存続が一層難しくなるとも記事にはありました.
また,電子辞書に搭載されている辞書も特定のものに集中し,国語辞典では『広辞苑』(岩波書店),英和辞典では『ジーニアス英和辞典』(大修館書店)を搭載している電子辞書が圧倒的に多いとのこと.国語辞典にせよ,英和辞典にせよ,多くの種類の辞書が出版されているにも拘わらず,電子辞書ではその幅広さが損なわれ,一部の特定の辞書しか選べない状況にあるわけです.電子辞書の普及が紙の辞書の衰退を招き,その多様性を奪いかねないという危惧を私は前々から持っていましたが,それが今,実際に進行しており,もしかすると,もはや取り返しのつかないところまで来ているのかもしれません.
「まぁ,辞書なんて,どれも同じだから,どれか残ればいいでしょう」と思う人もいるでしょう.そのように考える人の多くは,高校に入学した時に買った(か,強制的に買わされた,あるいは,買ってもらった)辞書を一生使い続ける「生涯一辞書」タイプであり,外国語の上達はおろか,ことばに対する感覚を養うことも望めません.私にしてみれば,同じ辞書を何十年も使うのは,同じCDをただひたすら何十年も毎日聞き続けるのと同じぐらい,あり得ないことです.そもそも,辞書はそれぞれ編者が異なっているわけですから,当然,編者の語感,経歴,年齢,更には人生観によって,辞書の記述も大きく異なってきます(例えば,有名なところでは,三省堂の『新明解国語辞典』の「恋愛」の項を版ごとに比べられたし).また,同じ辞書であっても,改訂版ともなれば,その前の版に誤りがあればそれを正し,より使いやすくするような工夫がなされているわけですから,それだけでも買う価値は十分にあります.しかし,残念ながら,電子辞書には,紙の辞書における買い替えやすさはまずありません.例えば,『広辞苑』の新しい版が出たからといって,それを搭載した新しい電子辞書に買い替える人など,まずいないでしょう.いうなれば,電子辞書の普及は,「生涯一辞書」タイプの人を増やし,結果的に,辞書出版の伝統を崩壊させることにつながるのではないかと思います.
ところで,三省堂の『大辞林』の第3版が10月27日に出版されますが,紙の辞書を購入すると,Web上で同じ辞書の検索サービスを受けることができるという仕組み(三省堂では,これを「デュアル・ディクショナリー」と言っています)になっているようです.例えば,自宅で紙の辞書を用い,出先でWeb版の辞書を使うというように,用途に応じて紙の辞書と電子媒体を使い分けることができるという点で,辞書の利用度を一層上げることにつながる試みと言えるでしょう.
まぁ,こういった新しい試みがあるうちは,紙の辞書も注目されることと思いますし,辞書出版に携わっている人も何らかの手段を講じて,紙の辞書を存続させる努力をするとは思いますが,しかし,結局,紙の辞書を支えるのは,私たち使用者です.「生涯一辞書」タイプではなく,いろいろな辞書を見比べ,使い分ける,そして,新しい版が出たら買い替える,こういった「辞書オタク」が増えてこそ,紙の辞書が存続するのではないでしょうか.皆さんには,「趣味は辞書です」と言えるぐらいに「辞書オタク」になってもらいたいものです.そのためには,電子辞書の便利なところばかりに目を向けるのではなく,紙の辞書のよさを実感するために,日頃から紙の辞書をせっせと引く習慣をつける,また,自分が持っている辞書の編者,出版年,出版社を確認し,その「序文」を読んで,編者の辞書に対する思いをしっかり酌んでほしいと思います.まずは,辞書に対する愛着と関心を持つことが大事であり,そうすることによって,ことばに対する鋭敏な感覚を養うことができると考えます.
[参考]「潮流:電子辞書時代『紙』の憂鬱」(『読売新聞』2006年7月24日朝刊)]]>
私にできる言語学
http://jjhhori.exblog.jp/3970023/
2006-07-19T18:09:24+09:00
2006-07-19T18:09:24+09:00
2006-07-18T17:18:51+09:00
jjhhori
テキスト
さて,今回は,尊大なタイトルですが,「言語学の数ある研究領域の中で,私にはこれしかできません」という意味で捉えてください.正確には,「私にももしかしたらできる言語学」でしょうか.
今年度前期の最後に読んだテキストは,「私の考える言語学」でした.著者は,チェコの言語学者スカリチカによる言語学の諸分野の3分類,つまり,
1) 言語とその内部との関係
2) 言語と他の言語との関係
3) 言語と言語外現実との関係
の3つの研究領域をあげ,「自然言語を素材とし,言語とその内部との関係を探る」のが「私の考える言語学」であると述べています.
1) と2) の領域は,言語学だけで完結し,また,ある程度の方法論が確立されていますが,3) の領域は,言語学に加えて,様々な補助科学を必要とし,その方法論もあまり固まっていません.その意味において,3) の領域は難しく,1) と 2) は,相対的にまだ取り組みやすいといえます.
しかし,言語学を少しでも勉強した人なら,「いやいや,そんなことはないでしょう.1) の領域といったら,音素とか形態素とか難しい術語が次から次へと出てきてうんざり.でも3) の領域は,ことばと社会とかことばと心理とか,何だかとても面白くて,とっつきやすそうです」と反論することと思います.確かにその通りであり,3) の領域に属する,社会言語学や心理言語学は,自分の経験に照らし合わせて問題を捉えることができるので,一見したところ,面白そうに思える分野です.
しかし,上に述べたように,社会言語学にせよ,心理言語学にせよ,言語学だけで完結するものではなく,それぞれ社会学や心理学などの補助科学をしっかり修めていなければなりませんし,そもそも,方法論が十分に固まっていないために,とっかかりの面白いところから更に一層深く追究しようとすると,途端に行き詰まってしまうことが多いようです.問題は,その行き詰まった時にどうするかという点なのですが,社会言語学の場合,私がみる限り,その助けを社会学に求めるために,言語学からますます遠ざかり,挙句の果てには,言語学ともいえなければ,社会学ともいえない,鵺(ぬえ)みたいな研究が横行しているように思います.それは,上の3分類のうち,1) の領域を疎かにし,社会学に逃げ込んでいるからです.社会言語学であっても,重要なのは,言語とその内部との関係をまずしっかりおさえることであり,そのそれぞれのレベルが言語外現実とどのような関係にあるのかを探らなくてはなりません.1) の領域なくして,2) や3) の研究などできるわけがありません.
勿論,1) の領域とて,方法論が確立しているといっても,それは,3) の領域に比べれば相対的にそうなのであって,実際に1) の領域を細かくみていくと,いろいろな問題があります.言語学においては,一般的に,音素,形態素,語,文などと単位のサイズが大きくなるにつれ,その扱いが難しくなります.これは,それぞれの単位に盛り込まれる情報(意味)が増え,その組み合わせが一層複雑になるからであり,こうなると,どの言語にも妥当する一般的な方法論を確立することが難しくなります.しかし,そうはいっても,他の補助科学の助けを借りることなく,やはり言語学的なアプローチができるわけですから,3) の領域に比べれば,まだまだやりやすいといえるでしょう.
そこで,「私にできる言語学」とは何かという問題に立ち戻ってみると,結局,テキストの著者がいうところの「私の考える言語学」こそが「私にできる言語学」ではないかと思います.勿論,フィールドワークをやっていれば,現実的には,1) の領域ばかりでなく,3) の領域にも踏み込んでいかざるを得ないことがあります.しかし,1) をすっ飛ばして,いきなり3) から入るというわけではなく,土台にあるのは,やはり1) の領域です.1) の領域をしっかりとおさえた上で,関心を徐々に拡げていくのが最も健全なやり方ではないかと思います.
「20世紀の知の巨人」といわれた言語学者ロマーン・ヤーコブソン(1896~1982年)は,「われは言語学者なり,こと言語に関するものにしてわれに無縁のものなしとす」といい,実際に,言語学の領域にとどまらず,文芸評論や失語症,詩学にも大きな足跡をのこしていますが,それは,まさに巨人だからできることであって,凡人の私は,「これしかできない」といいつつも,ここで述べたことの半分もできていないのが現状です(涙).せめて残りの人生,「これだけはやった」といえるものを残したいものです(しみじみ).
さて,今年度もめでたく前期が終わりました.例年ですと,後期の間,ここは完全に放ったらかしになっているのですが,今年は,後期もちょくちょくと更新していきたいと思っています.但し,8月8日から9月7日までは,海外に出る予定でいますが,その間は,通信環境があまりよくありませんので,この「裏番組」の更新ができない点,予めお断りしておきます.]]>
ことばと記憶
http://jjhhori.exblog.jp/3911340/
2006-07-09T12:28:00+09:00
2006-07-09T21:45:40+09:00
2006-07-09T12:28:11+09:00
jjhhori
ことば
確か今年の4月ぐらいだったと思いますが,「A*Cマート」という靴屋の新聞の折込ちらしをみていたら,当時2歳6ヶ月の娘がそのちらしをみて,「ママ,靴,買ったよねー.ペコちゃんの頭,なでなでしたよねー」と突然言い出しました.
その3ヶ月ぐらい前,娘の靴を買いに「A*Cマート」に行った時,妻が娘の靴を選んでいる間,私と娘は,その店の隣にある「不*家」の前でペコちゃんの頭をなでたり,叩いたり(乱暴です.笑)して,妻が出てくるのを待っていたことがありました.「A*Cマート」のちらしをみた娘は,その時のことを思い出して言ったわけです.
そのちらしをみて「A*Cマート」だということを娘が認識したのにまず驚きましたが,それ以上に,そのちらしを見るまでの約3ヶ月間,娘からその時の出来事を一度も話すこともなければ,私たちも話題にすらしたことがなかったにも拘わらず,娘が突如としてその時の話をしたことに驚きました.つまり,その時の光景は,彼女の頭の中でしっかりと記憶にとどめられながら,そのちらしをみるまで言語化されることがなかったということです.言語化されることがなかったのは,おそらく彼女の言語能力がそれを表わし得るほどに十分発達していなかったからでしょう.
このことは,「言語なしに思考や記憶ができるのか」という大きな問題につながってくると言えるでしょう.普通,私たちは,ある出来事を思い浮かべる際,もちろん,その映像が頭に浮かびますが,例えば,「あそこにペコちゃんがあったなぁ」というように,ある程度言語化されている,言い換えれば,言語の助けを借りて記憶しているところもあるのではないでしょうか.しかし,言語能力が十分発達していない娘をみる限りにおいては,ある出来事は,言語を介在することなく,映像としてそのまま記憶されていたのでしょう.そして,言語能力が発達するにつれ,その映像として記憶された出来事を言語化し得るようになったのではないかと思います.
「記憶」という行為に言語がどれだけ関与しているのか,あるいは,言語があることによってどれだけ「記憶」が容易になっているのか,それを考えるには,言語を介さない記憶を想像することすら困難になっているほど,私たちは,言語に縛られているといえます.
尚,ことばが十分発達していないからといって,子供の記憶をあなどってはいけません.実際,「どうせ覚えていないだろう」などと高を括ってごまかそうとしたら,まさに「天網恢恢,疎にしてもらさず」,見事,見破られて大変な思いをしたことが何度もあります.まぁ,これも子育ての面白さのひとつなのでしょうが,目下,「魔の2歳」(英語でいうところの"terrible two")真っ只中の娘を相手にしている私には,そうして笑ってすませられるほど,心のゆとりはありません(苦笑).]]>
再び辞書について
http://jjhhori.exblog.jp/3834884/
2006-06-29T17:46:36+09:00
2006-06-29T17:46:36+09:00
2006-06-29T12:01:34+09:00
jjhhori
ことば
私が学生の頃(註:「学生」といっても,私は10年間学生をやりましたので,その時間の幅は広いのですが.笑),当然のことながら,電子辞書などというものはなく,あるのは,紙の辞書だけでした.しかも,外国語の授業が毎日のようにあり,複数の辞書を持ち歩く必要がありましたので,どの学生も大きなかばんに何冊も辞書を詰め込んでいたものです.今は,こういう学生をみることはなくなりましたが,その原因の一つとして,電子辞書の普及があげられると思います.
電子辞書がいつ頃から一般的に使われるようになったのか,詳しいことは知りませんが,静大の学生に限って言うならば,電子辞書を逸早く使い出したのは,私の記憶では,留学生だったと思います.その当時の留学生が使っていた電子辞書は,おそらく今ほど多機能なものではなく,せいぜい一種類の辞書しか入っていないもので,収録される辞書が増えるに連れて,日本人学生でも使用する人が増えてきたのでしょう.実際,日本人学生の間に電子辞書が普及し出したのは,留学生よりも遅かったと記憶しています.
電子辞書というのは,ページをあっちこっちめくったりする必要もなく,たちどころに調べたい語が見つかりますので,時間を大幅に節約できる点で確かに便利です.実際,私も電車の中で本を読んでいる時に,どうしても調べたい語がある場合は,電子辞書を取り出して調べていますが,こういうことは,紙の辞書ならまず無理でしょう(いや,無理ではないけど,ちょっと面倒くさい).また,海外に行く時は,以前は無理をしてでも紙の辞書を持ち歩いていましたが,今なら,電子辞書がありますから,スーツケースの余った空間に別のものが詰め込めるという利点もあります.このように,時間や場所の節約になりますので,電子辞書というのは,まさに画期的な発明品です.また,電子辞書の普及により,ちょっとしたことでも,すぐ辞書で確かめるという習慣が学生の間にできあがったのも,電子辞書のおかげといっていいかもしれません.おそらく,私が赴任した頃に比べて,静大の学生が辞書で調べる頻度は上がっていると思います.
しかし,やはり,紙の辞書をずっと使ってきた,私のような古い人間には,この電子辞書なる代物,どうも今ひとつ馴染めません.何となく調べたという気がせず,その調べた語の意味がなかなか頭に入らないんですね(年のせいかもしれませんが.苦笑).それは,おそらく,小さい画面であの独特の字体をみることが苦痛だからなのでしょう.つまり,「辞書を引く」といっても,実際は,辞書を読んでいるわけであり,その読むという行為にとって,あの独特の文字がびっちりとつまった小さい画面というのは,適しません.これは,辞書をどのようなものと捉えているかという問題と絡んでくると思うのですが,私の場合,辞書は語を調べるための道具であるだけでなく,読む対象としてあるからこそ,電子辞書に対して抵抗感があるのではないかと思います.目標とする語の意味を調べている間に,ちょっとその隣の語も読んでみるというのは,実に楽しい作業であり,それがことばのもつ深遠な世界に入り込むひとつのきっかけとなると思うのですが,電子辞書では,そうしたきっかけは得られません.私の場合,じっくりと読書をする,あるいは,ものを書く際に使うのは,電子辞書ではなく,依然として紙の辞書の方です.
私が電子辞書に対する抵抗感を抱くもう一つの理由は,使っている辞書の新しい版が出た時などに即応できないという点です.勿論,紙の辞書でも,新しい版が出たら,買い換えなくてはならないわけですが,電子辞書の場合,収録されている複数の辞書のうち,どれかに新しい版が出た場合,その本体をそっくりまた買い換えなくてはなりません.まぁ,「辞書なんて,新しかろうが古かろうが,関係ない.私は,一生この辞書を使います」などという人には,何十年来の辞書をそのまま使えばいいわけですから,電子辞書が壊れるまで使い続ければいいでしょう.でも,やはり,ことばを生業とする者としては,自分の使っている辞書の新版が出たとあれば,どの部分が新しくなり,どこが書き加えられたのか,この目で確かめてみたいと思うものです.そういったことがすぐにできないという点で,電子辞書はやはり不便なものです.電子辞書が急速に普及しつつある今,紙の辞書がそれに反比例するように減少していくのではないかというのが目下のところ私の恐れるところです.
私が学生の頃,ある英語の先生は,「辞書を引くのが億劫になりだしたら,じいさん,ばあさんの始まりだ!」とよくおっしゃって,私たちの怠惰な態度をよく戒めていましたが,電子辞書を引くことすら面倒に感じるようになったら,それこそお終いということになるんでしょうね.普段,電子辞書を使っている人も,辞書のもつ(便利さではなく)面白さを十分に味わうために,偶には紙の辞書を引くことを強く奨めます.
追:しかし,そうはいっても,この前に書いた例のハイダ語辞書は,是非とも電子辞書で出してほしいものです(笑).]]>
危機言語と辞書
http://jjhhori.exblog.jp/3783475/
2006-06-22T23:03:56+09:00
2006-06-22T23:03:56+09:00
2006-06-22T09:42:53+09:00
jjhhori
テキスト
辞書というのは,一般的に,その使う人の用途に応じて,様々なものがあります.例えば,学習者用の辞典であれば,段階に応じて,初級者向け,上級者向けというのがあり,初級者向けであれば,収録語数を絞って,個々の語の意味や用法を詳しく書くことが要求され,逆に,上級者向けであれば,語の意味や用法は必要最低限の記述に留め,収録語数をできるだけ増やすなどといった工夫が必要です.しかし,学習用の辞典で,複数のものが出版され,選択の幅が広いというのは,話者が多く(つまり,それだけ需要が高い),研究者の数も多い言語において可能であり,話者が少ない上に研究者の数が少ない言語においては,そういうことは望むべくもなく,語釈も不完全,語彙数も少ないという,辞書として役に立つのかどうか分からないようなもので満足せざるを得ません.
私が研究しているハイダ語でも,1970年代に作られた,2000語程度の簡単な辞書しかありませんでした.辞書といっても,ハイダ語の見出しに,それに相当する英語の意味が書かれ,動詞や名詞のそれぞれの異形態が簡単に記されているといった程度のものです.その後もその辞書を改修訂し,新たな版を出すということはなく,管見では,ほとんど利用されることもありませんでした.
ところが,そうした中,その欠を補うかの如く,2千ページ以上に及ぶハイダ語辞典(全2巻)が昨年出版されました.どれぐらいの分量かといえば,タウンページ2冊分ぐらいの厚さ.ハイダ語を30年以上にわたって研究してきた言語学者が個人で作り上げたというものです.語釈も詳しく,また,いろいろな用例が載せられ,よくも一人でこれだけのものを作ったと感心せざるを得ない辞書です.いわば,研究社の『英和大辞典』を一人で作ったといってもいいぐらいのものといえば,この辞書のすごさが分かるでしょう.
今まで満足のいく辞書がなかった言語に本格的な辞書ができたというのは,普通であれば,とても喜ばしい出来事です.特に,その言語の話者が少数の高齢者に限られているような場合は,尚更のことです.しかし,残念ながら,ハイダの人たちのこの辞書に対する評価は,極めて冷淡なものでした.実際,ある人は,パラッとめくっただけで,「ダメだ,こりゃ」といってすぐさま辞書を閉じてしまいましたし,ハイダ語の集中講座を取り仕切っている私の友人などは,「自分の知識をひけらかすために,こんなものを作りやがって」などと散々こき下ろしていたぐらいでした.それは,ハイダの人々とその言語学者との間の長年にわたる確執を思えば,十分納得できるものですが,本来,最も必要とする人たちにそっぽを向かれてしまったわけですから,長年かけてつくったこの辞書は,一体何の意味があったのかと思わざるを得ません.
彼らがこうした感想を抱くのは,そうした感情的な理由ばかりではなく,それがuser-friendlyに出来ていないところにも由来すると思います.例えば,見出しの配列をみてみると,ローマ字で表記(これについては後述)されたハイダ語の項目がabc順ではなく,その項目の語頭(厳密には形態素の最初)の音の調音点(発音する場所)で並べられている点がまず大きな障害となっています.つまり,一番最初の見出しが「a」で始まっているのではなく,調音点が前の方である「p」(両唇音)で始まっているわけです.要するに,音声学の知識がないと引けない配列になっているということです.しかも,ハイダ語は,スワヒリ語に劣らないほど,語構造が複雑ですので,スワヒリ語と同様,問題となる語を形態素に分析した上でないと,この辞書は使えません.実際,私も仕事柄(?)使うことがありますが,目的とする語がなかなか見つからず,本当にイライラさせられます. ハイダ語に関する言語学的な知識を持っている(んでしょうな.笑)私ですら,こうなのですから,ましてや,ハイダ語の話者であるじいさんやばあさんたちがこの辞書を使う苦労は,並大抵のものではありません.そもそも,じいさんやばあさんは,音声学の知識などありませんから,どうして最初に「p」で始まる語が置かれているのかその理由がさっぱり分かっていませんし,お年寄りは短気ですから,2千ページもある辞書を一頁ずつ繰って,目的とする語を探そうなどという気持ちは全くありません.「だめだ,こりゃ」というその言葉に,この辞書に対する彼らの感情のすべてが込められているといってもいいでしょう.
この辞書が彼らを遠ざけてしまった第二の理由は,そこで使われている正書法です.ハイダ語はもともと文字がありませんでしたが,上述の1970年代に作られた辞書で用いられた正書法をもとにいろいろな方言の正書法が作られ,その後,学校教育や成人対象のハイダ語集中講座などで使われてきました.しかし,昨年出たその辞書が用いている正書法は,その正書法とは文字の使い方が異なるもので,これがまた,彼らの感情を逆撫でしたわけです.例えば,有声(厳密には無声無気)口蓋垂閉鎖音を,それまでは「g」(下線付きのg)で表わしていたのですが,新しい辞書では「r」という文字を用い,また,これまで無声口蓋垂摩擦音に対して「x」(下線付きのx)を当てていたものを単に「x」で表わし,従来「x」で表わしていた無声軟口蓋摩擦音に「c」を当てるというようなことをやっています.この説明を読んだだけではすぐには理解できないと思いますが,こういう複雑な文字の使い方をしているために,多くの人の反発を買ってしまったのです.正書法に関しては,また別の機会に述べたいと思いますが,いずれにしても,正書法を考える際には,言語学的な正確さだけでなく,彼らが慣れ親しんでいる英語の正書法の慣用もある程度考慮に入れなければならないと思います.それ以外にも,2巻セットで4万円弱というのも,大きな問題です.
この事例は,結局,辞書というのは,どういう利用者を想定しているのか,そして,それに対してどのような工夫を施しているのかが使い手に伝わらなければ,いくら大きくて立派な辞書でも何の役にも立たないということを表わしています.そういった視点がない辞書というのは,それこそ言語学者の自己満足と批判されても仕方がなく,特に危機に瀕した言語の場合は,今必要とする辞書とはどういうものかということを話者や言語教育関係者と模索しつつ,作り上げていかなくてはならないと思います.ハイダ語において必要とされているのは,初級の学習者にとって使いやすく,学習の発展を助けるものですが,言うほどには簡単な作業ではなく,私もまだ暗中模索の段階です.尚,ハイダ語ではなく,韓国語(朝鮮語)の辞書ですが,菅野裕臣・他(編)『コスモス朝和辞典』(白水社,1991年[第2版])は,そういった工夫がされている辞書のひとつとしてお薦めしたいと思います.]]>
日本語の「有声音」と「濁音」
http://jjhhori.exblog.jp/3734588/
2006-06-14T10:38:00+09:00
2007-04-18T11:37:49+09:00
2006-06-14T10:38:04+09:00
jjhhori
ことば
日本語の閉鎖音には,ご存じの通り,無声音と有声音の対立があります.例えば,[k] に対して [g],[t] に対して [d] など,いずれも語の意味の区別に関与するわけですから,それぞれ別個の音素に該当します(この辺は,言語学概論の復習ですね).この違いを仮名の上では,濁点「゛」を使って表わすのもご存じの通りです.例えば,「か」に対して「が」,「た」に対して「だ」などですが,しかし,摩擦音になると,無声音と有声音の対応の仕方が閉鎖音のそれの場合と異なってきます.例えば,「さ」に対しては「ざ」ですが,実際の音声をみてみると,「さ」の子音は [s] であるのに対して「ざ」の子音は [z] だけでなく [dz](破擦音といいます)であることもあります.まぁ,[z] と [dz] の違いは,日本語では音声的な違いであって,音素のそれではありませんので,音素レベルで解釈すれば,「さ」と「ざ」も /s/ と /z/ の違い,つまり,無声と有声の対立と見做すこともできるでしょう.
では,「は」はどうでしょうか.「は」の子音は,ごく大雑把に書けば,音声的には [h] ですが,それに濁点が付いた「ば」の子音は,音声的には [b] であり,[h] の有声音ではありません.[b] に対する無声音は [p] ですが,仮名では「ぱ」と書くように,ハ行では,清音と濁音の組が無声・有声という点だけでなく,調音点(口の中の発音する場所)や調音方法(発音の仕方)まで違っていますので,他の行と比べて不規則になっています.なぜこのような複雑なことになっているのかというその理由は,日本語のハ行の子音がかつては [p] であったことと関係があるのですが,ここでは,その詳細については触れません.
ところで,私の2歳7ヶ月になる娘は,2歳3ヶ月ぐらいから平仮名を読み始め,今では,例えば,「ぬ」と「め」,「さ」と「き」など形が似ているものを読み違えることが時々あるものの,大体の平仮名は読めるようになりました.念のために書いておきますと,英才教育とかお受験対策とかそういうつもりは毛頭なく,絵本が一人で勝手に読めるようにするために,試しに教えたところ,次から次へと覚えるので,こちらも面白がって覚えさせたというだけのことです.
その娘が覚えるのにまずひっかかったのがこの濁点つきの平仮名でした.どうやっても濁点を抜かして読んでしまうんです.そこで,ある時,文字を見せずに,「『か』に“てんてん”は『が』.じゃ『こ』に“てんてん”は?」と教えているうちに,ガ行・ザ行・ダ行の読み方をたちどころに覚えてしまいました.まぁ,彼女の小さい頭の中で無声音と有声音の対立がちゃんと認識されていたんですね.これにまず驚きましたが,私が更に驚いたのは,「『は』に“てんてん”は?」と聞いた時です.文字を習った人なら「ば」と答えるところでしょうが,それに対して彼女は,ためらうことなく「あ」と答えたのです.普通の親なら「『ば』でしょ!『ば』!ちゃんと覚えなさい!キーッ!」となるところですが,言語学をやっている異常な(?)親である私は,この答えを聞いた瞬間,思わずニヤッと笑ってしまいました(客観的にみれば,やっぱり怪しい).
上に述べたように,日本語のさまたげ音(閉鎖音,摩擦音,破擦音)系列は,無声と有声の対立を示します(上の /k/:/g/, /s/:/z/ など).この対立がないのは,/n/, /m/, /j/(ヤ行の子音),/r/, /w/ ですが,妨げ音の中では,/h/ だけがこれに対する有声音素がありません.これに対し,服部四郎という言語学者(本裏番組の2004年5月を参照)は,ア行を /’a, ’i, ’u, ’e, ’o/ のように,母音始まりでありながらも子音音素があると解釈し,この /’/ を無声喉頭音素 /h/ に対立する有声喉頭音素と見做すという説を述べています.つまり,
/ka, ki, ku, ke, ko/ : /ga, gi, gu, ge, go/
が無声と有声で対立するように,
/ha, hi, hu, he, ho/ : /’a, ’i, ’u, ’e, ’o/
も同様に,無声と有声の対立であるとする解釈です.この /’/ という音素は,一見(一聞)してないものが実はあるものと仮定して設定されたものですが,ア行もこのように解釈することによって,日本語の音節構造(厳密には音節ではありませんが)は /CV/ であると一般化することができます.娘が「『は』の“てんてん”は?」と聞かれて,「あ」と答えた瞬間,私は,服部先生のこの説を思い出し,それでニヤッと笑ったわけです(ちなみに,ハ行のハ以外も同様に,ア行で答えていました).
私たちは,すでに仮名の読み方を知っていますから,「は」に対して「あ」という発想はまずないのですが,まだ文字に毒されていない娘は,音声的な類推から「あ」と答えたのでしょう(その時,文字を見せずに教えたのもひとつの要因かもしれません).その有声喉頭音素というのは,確かに日本語の音節構造を説明するための理論的な虚構物ですが,しかし,無意識のうちには,実は,無声の喉頭音素 /h/ に対するものなのかもしれないと,娘の反応をみながら思いました.
結局,娘には,このまま間違った読み方を教えるわけにもいかず,「『ば』だよ!『ば』!」と教え込んでしまったので,今となっては,ちゃんと「ば」と読めるようになり,それはそれで,嬉しいような悲しいような・・・.ちなみに,言語学者の子供というのは,えてして,親の実験台になる傾向があります.私もできる限り,娘にいろいろな発音を仕込んでおこうと,あの手この手を使っていますが,娘で失敗したら,孫で試そうと,今から遠い将来のことも考えています(笑).]]>
「抱合」について
http://jjhhori.exblog.jp/3707704/
2006-06-09T14:16:00+09:00
2006-06-09T14:16:01+09:00
2006-06-08T11:15:57+09:00
jjhhori
テキスト
まず,「抱合」というのは,自立的に現われ得る名詞と同じく自立的に現われ得る動詞が合体し,ひとつの動詞として機能する語を形成することをいいます.言い換えれば,名詞と動詞からなる合成動詞の一種であり,動詞が名詞をいわば抱きかかえるので,「名詞抱合」といいます.例えば,イロッホ語(Iroh)において “ska”「鹿」という名詞と“koros”「殺す」という動詞があった場合,それらを合成させた表現,すなわち,
was-ska+koros-ta 「私が鹿を殺した」
(was-:1人称単数主語,-ta:過去)
これが名詞抱合の例といえます(ハイフンは接辞の境界,+は合成を表わします).この場合,was-という1人称単数主語を表わす接頭辞と-taという過去を表わす接尾辞がその名詞と動詞が合わさっている形式(ska+koros)をいわば挟み込むようについていることで,この例は,ひとつの語であることが分かります.
これに対し,“ska”「鹿」,“koros”「殺す」がそれぞれ別々に(つまり,自立的に)現われることもあります.すなわち,
ska-rur was-koros-ta 「私が鹿を殺した」
鹿-を 1単主-殺す-過去
この場合は,上の「私が鹿を殺した」というのを,“ska-rur” と “was-koros-ta” の2語で表わしており,上の抱合的表現に対して,分析的表現といいます(つまり,「私が鹿を殺した」という概念を表わすのに二つの方法があるということです).ここで重要なのは,分析的表現で現われる名詞 “ska” と動詞 “koros” が,抱合的表現でもほぼ形をかえずに,そのまま現われているという点です.つまり,分析的表現と抱合的表現の両者において,用いられる名詞と動詞がほぼ同じ形式(あるいは,形式の上で関連付けることが可能)である点を押さえておいてください.
翻って,エスキモー語はどうでしょうか.テキストにあげられている例を再度,下に示します.
qayar-pa-li-yug-a-qa
カヤック-大きな-作る-たい-直説法他動詞-1人称単数主語・3人称単数目的語
「俺はお前に大きなカヤックを作ってやりたい」
一見したところ,「カヤック」とか「作る」など,それぞれ名詞や動詞的概念がひとつの語の中で表わされている点で,上のイロッホ語の抱合的表現と似ているといえます.しかし,エスキモー語の場合,自立的に現われるのは,“qayar”(但し,自立的に現われる場合の形式は,“qayaq”)だけで,「作る」という概念を表わす-li はあくまでも接尾辞(つまり,他の要素に必ず付いて現われるもの)であって,自立的には決して現われることがありません.その点が自立的に現われ得る名詞と動詞を合成させてひとつの語を作ることのできるイロッホ語との大きな違いです.
一方,「複統合的」というのは,ひとつの語の中にどれだけ多くの形態素を含みこむことができるかという点(これを「統合度」といいます)からみた分類のひとつで,エスキモー語のように,ひとつの語の中に,かなり具体的な概念を表わす要素も多く盛り込むことができる言語をいいます.勿論,イロッホ語も名詞を抱合することによって,結果的にはひとつの語の中に多くの形態素を取り込んでいるわけですから,やはり「複統合的言語」ということができます.つまり,イロッホ語は,抱合的言語であると同時に複統合的言語であるといえますが,エスキモー語は,複統合的言語とはいえても,抱合的言語というのは適切ではないということです.
現在出されている言語学の入門書においては,この「複統合的」と「抱合的」を混同していたり,その両者を同一視していたりしているのがほとんどで,その両者の違いをきっちり書いているのは,皆無に近い状態です.この両者の用語の混同は,すでに20世紀初頭においてありましたが,その両者の違いを説き,抱合の最も明解な定義を与えたのは,言語学概論でおなじみのサピアです.「アメリカ諸言語における名詞抱合」という1911年の論文で,サピアは,具体例を示しつつ,抱合とは何かという問題を見事に解決しています.ちなみに,この論文,サピアが27歳の時のものですが,その論文を読むにつけ,自分は27歳の頃,一体何をやっていたのだろうと,サピアの天才ぶりと自分の凡才ぶりを比べては,ため息をついています(改めてため息).
[註]上にあげたイロッホ語は,架空の言語です(まぁ,逆から読めば・・・).]]>
「能格」について
http://jjhhori.exblog.jp/3676200/
2006-06-01T21:05:32+09:00
2006-06-01T21:05:32+09:00
2006-05-31T11:48:28+09:00
jjhhori
テキスト
「能格」について説明する前に,術語の整理をしておきましょう.まず,述語が自動詞である文を「自動詞文」(例:「一郎が走った」「二郎が酔っ払った」など),他動詞である文を「他動詞文」(例:「三郎が四郎を殴った」「五郎が六郎を殺した」など)といいます.ここで問題となるのは,自動詞文の主語となる名詞(以下,Sとします),また,他動詞文の主語となる名詞(以下,Aとします)と目的語となる名詞(以下,Oとします)がそれぞれどのような標識で表わされるかという点です.
まず手近なところで日本語をみてみますと,上の例にもあるように,
自動詞文:一郎-ガ[S] 走った
他動詞文:三郎-ガ[A] 四郎-ヲ[O] 殴った
自動詞文の主語「一郎」と他動詞文の主語「三郎」が同じ標識「ガ」で示され,他動詞文の目的語「四郎」だけが「ヲ」という違う標識で示されています.言い換えると,「ガ」は自動詞の主語と他動詞の主語の標識として使われるのに対し,「ヲ」は他動詞の目的語の標識として使われているということです.このように,自動詞の主語と他動詞の主語が同じ標識(これを「主格」といいます)で表わされ,他動詞の目的語だけが特別な標識(これを「対格」といいます)で示される言語を「主格・対格型」といいます.
これに対するのがここで問題となる「能格型」言語です.能格型においては,普通,自動詞の主語と他動詞の目的語が標識を一切とらず,他動詞の主語だけが特別な標識で示されます.例えば,能格型のひとつであるエスキモー語においては,自動詞文と他動詞文は,以下のように表わされます(0はゼロの標識,すなわち,何も付いていないことを表わします.便宜上,問題となる標識だけエスキモー語の形式で示します).
自動詞文:一郎-0 [S] 走った(日本語訳:一郎が走った)
他動詞文:三郎-m [A] 四郎-0 [O] 殴った(同:三郎が四郎を殴った)
この二つの文で,自動詞の主語「一郎」と他動詞の目的語「四郎」が同じ標識(-0:これを絶対格といいます)で示されているのに対し,他動詞の主語「三郎」だけが特別な標識(-m:これを能格といいます)で示されていることに注意してください(但し,エスキモー語学では,この-mを「関係格」と称しています).言い換えれば,絶対格は,自動詞の主語と他動詞の目的語を表わす標識として使われているのに対し,能格は,他動詞の主語を表わす標識として使われています.このように,自動詞の主語と他動詞の目的語を同じように扱い,他動詞の主語だけを特別扱いするのが能格型の言語の特徴です.
以上述べてきたことを,自動詞主語(S),他動詞主語(A),他動詞目的語(O)を表わす標識の異同によって整理しますと,
主格・対格型:S=A≠O
能格型:S=O≠A
ということになります.尚,理論的には,A=O≠S(すなわち,自動詞の主語だけ特別な標識をとる)という型も考えられなくもありませんが,実際には,こうした言語は,今のところ報告されていません.
ところで,自動詞の主語と他動詞の目的語を同じ標識で表わすというのは,一見,奇異に思われるかもしれませんが,日本語でも,その昔は,「花-0[S] 咲く」(自動詞文)「花-0[O] 見る」(他動詞文)といっていたのをみれば,能格型というのは,決して特異なものではありません.日本語の場合,格助詞が整備される以前は,むしろこうした表現の方が一般的だったわけで,現代の日本語において「ガ」と「ヲ」が用いられるようになる前は,(完全とはいえないまでも)多少能格的な性格があったのかもしれません.実際,現代でも口語では,格助詞を使わない表現の方がよく観察されます(例:「私帰る」「レポートやってない」など).
まぁ,言語学概論を聞いて2ヶ月かそこらで,能格を理解しろというのが土台無理な話です.しかし,いずれは,授業の中で出てきますので(たぶん),その時が来たら,このページを再度読み返してみてください.尚,能格について興味がある人は,千野栄一『注文の多い言語学』(1986年,大修館書店)の中の「特別料理『エルガティーフ』」というのをご覧ください(「エルガティーフ」は,「能格」のことです).その特別料理,おいしいかどうかは,読む人次第です.ちなみに,私が最初それを読んだのは,大学1年の時でしたが,あんまりおいしくなく,すぐに吐き出してしまいました(苦笑).]]>
フィールドワークあれこれ(1):寝泊りはどうするのか?
http://jjhhori.exblog.jp/3652478/
2006-05-25T10:03:00+09:00
2006-05-25T11:16:55+09:00
2006-05-25T10:03:21+09:00
jjhhori
裏話
「フィールドワークをしている」などというと,必ずといっていいほど「寝泊りはどうしているんですか?」という質問をされます.人間にとって必要な衣食住のうち,食と住はどうするのかというもっともな疑問です.そういった質問に対し,「普通のお宅にホームステイしています」というと,聞いた相手は,何となくがっかりしたような表情をみせるものです.「いやいや,熊にビクビクしながらのテント生活で,熊と争いながら一命を賭して川で鮭をとっていますよぉ」という,サバイバルゲームを連想させるような答えを期待している人が多いのでしょうね(私の思い過ごしかもしれませんが).
まぁ,でも考えてもみてください.私が行っているのは,カナダのブリティッシュ・コロンビア州の北西海岸にあるクィーン・シャーロット諸島(「ハイダ島」とも)というところで,カナダといえば,いわゆるG7の一つです.島であっても,電気・水道が通じているところで,特にこれといった不自由を感じることはなく,また,熊と格闘しているわけでもありません(実際,熊はいますが).
私が滞在しているのは,70代後半のハイダ族のおばあさんのご家庭.普段は,そのおばあさんとトイプードルと一緒に一夏を過ごしています.そのおばあさんには,私の仕事のお手伝いをお願いしているのですが,それがとても楽しいらしく,私がいる間は,朝からハイダ,昼もハイダ,夜も寝るまでハイダで,一緒にやっている私の方がくたばりそうな感じです.まぁ,とにかくお元気,決してじっとしていません.
『滅びゆくことばを追って』では,著者が滞在中のモーテルに話者を連れてきて調査を行なっていましたが,私の場合は,自宅(というより,そのおばあさんのお宅)か,あるいは,村に住んでいる別の話者のお宅に行って,調査をしています.いわば「通い型」です.ホテルかどこかに滞在するというのは,自分のプライバシーが完全に保護されて,仕事に没頭できるという点でとても魅力的です.しかし,観光地でもある島には私が泊まれるほど手ごろな値段のホテルがありませんし,ホテルのあるところと話者の方たちが住んでいるところが離れていますので,この「お招き型」は,私の場合,ほとんど不可能です(それよりも何よりも,ホテルに泊まると,食事のことを考えなくてはならないという難点があります).
勿論,人の家に1ヶ月以上滞在するわけですから,それなりの気疲れというものがあります.例えば,突然のお客さんが来たためにその日の予定がすべてパーになったなんてこともしょっちゅうあります.また,調査に通っているお宅に,夏休みで帰省している孫たちがいたりすると,お年寄りの目は,完全に孫に釘付け,調査の方は,気もそぞろ,もう知ったこっちゃないという感じになります.ある時など,折角とった録音資料も子供の「ギョェエエエエー!」と泣き叫ぶ声とそれを叱り付ける親の声にかき消されて,肝心の部分が全く録音されていなかったなんてこともありました(涙).まぁ,子供がいたら,その日は,ダメだという覚悟をする必要があるわけです.
まぁ,こういったことはありますが,普通の家庭に滞在したり,調査のために訪れたりすることによって,知り合いも増えますし,また,家族のように扱っていただけるのは本当にありがたいことです.実際,今お世話になっているお宅に着いてその見慣れた風景をみると,「あぁ,帰ってきたなぁ」という一種の安堵感すら覚えます.まぁ,そうした気分を味わいたくて,何度も同じところに行っているのかもしれません.フィールドワークをすることによって,自分の帰省する先がもう一つ増えた,何となくそんな感じがします.]]>
「もう一度,弾かさせてください!」
http://jjhhori.exblog.jp/3611689/
2006-05-18T10:51:00+09:00
2006-05-18T10:53:36+09:00
2006-05-15T17:46:22+09:00
jjhhori
ことば
さて,タイトルをみると,私が何か楽器を演奏させろと騒いでいるように思われるかもしれませんが,そうではありません(笑).今やっているNHKの朝の連続ドラマの話です.
先週でしたか,主人公が東京音楽学校を受験する時,手首を怪我して,ピアノが思うように弾けず,そこで試験官に発したのが上のセリフ,つまり,「もう一度,弾かさせてください!」というセリフです.
ここで問題となるのは,「弾かさせる」という動詞の部分です.「弾く」に使役の「させる」が付いたものですが,「させる」が付くのは,一段動詞・カ変動詞であり,五段動詞の「弾く」には,「させる」ではなく「せる」が付いて,「弾かせる」となるところです.要するに,「さ」が余分に入り込んでいるわけです.
こうした現象は,井上史雄『日本語は年速一キロで動く』(講談社新書,2003年)によると,「サ入れことば/サ付きことば」といわれるもので,1980年代末から1990年代にかけて刊行された『方言文法全国地図』(国立国語研究所)では,「書かせる」に対して「カカサセル」という形式が静岡市付近に現われているそうです.さすが日本語の最先端の地,静岡です(笑).
このドラマの主人公は,愛知県岡崎市出身の設定で,時代は,戦前の昭和のようです.ドラマの中では,三河地方の方言が使われていますから,この「サ入れことば」も岡崎の方言を意識して使ったのでしょうか.それとも単に「口が滑った」のでしょうか.と,私がこんなことを気にしている間に,主人公は,音楽学校の試験に滑ってしまいましたね.ちなみに,青森出身の画家が出てきますが,あの役の俳優は,青森の方言のまねをしているものの,東北出身者ではないでしょう.発音を聞けば,すぐに分かります.
この「サ入れことば」は,二種類ある使役の形式(「セル」と「サセル」)を「サセル」一本にするという単純化への流れのひとつであるといえます.これは,ちょうど,いわゆる「ラぬき言葉」が二種類ある可能の形式(「レル」と「ラレル」)を一本にするのと並行した現象とも考えられます(参考:前出の『日本語は年速・・・』).同じ機能をもつ形式を動詞の活用によって使い分けるというある種の「無駄」を省こうというわけですね.ただ,「ラぬき」は短い形式を生み出しますが,「サ入れ」の方は,長い形式となる点で,若干違うともいえます.
これと関連して,最近やたらと目(と耳)に入る表現として,「~させていただく」というのがあります.例えば,「私の方からご説明させていただきます」のように,人によっては,これを連発することもありますね.単に「ご説明いたします」でいいと思うのですが,それだと,どうも素っ気なく,丁寧度に欠けると感じるのでしょうか.元は,関西の「~させてもらう」で,それが丁寧表現となって全国的に使われるようになったと思いますが,関西の「~させてもらう」は,その使い方において,必ずしも「~させていただきます」とは同じではないように感じます.
この「~させていただく」については,いろいろと言いたいことがあるのですが,長くなりますので,この辺で終わらさせていただきます(笑).]]>
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