授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など


by jjhhori
どうもご無沙汰です.この裏番組を始めて今年度で4年目になりますが,最近になって分かったのは,授業実施中は,更新がほとんど不可能なことです.もはや「裏番組」とはいえず,むしろ「特別番組」みたいな感じになってきていますが,ちょうどネタと時間がありましたので,久々に更新したいと思います.

2月のとある日,久々に本屋めぐりをし,今まで気になっていた本を一気に何冊か買い込んできました.今日紹介するのは,そのうちの1冊です.

この本が出ることは前々から知っていましたが,この著者(対談者)のお二人のうちのお一方は,私の恩師が「バカだ」とさんざん評していらっしゃった方であり,そういうのが頭にあったせいか,最初から買うつもりはありませんでした.しかし,本屋で立ち読みし始めたら,特に第1章の「回想の言語学者たち」にはまってしまい,立ち読みするのが面倒になって即お会計,その続きを近くの喫茶店で一気に読んでしまいました.

第1章に登場するのは,服部四郎,村山七郎,亀井孝,江実,井筒俊彦,高津春繁などなど,日本の言語学史において一時代を築いた言語学者であり,その業績や日本の言語学における位置づけ,更に,著作からは伺い知れない人となりや思想が語られ,実に興味深いものがあります.やはりそれは,このお二方が戦後に言語学を始め,それらの言語学者が中心的存在となって言語学を牽引していた,そういう時代の中を経験したからでしょう(ただ,記憶から語られているため,とんでもない間違いもいくつか含まれていますが).

三重のど田舎から「笈を負って」出てきた服部四郎,それを小馬鹿にしていた亀井孝,田中氏の留学のための推薦状を書いている最中に突然ショパンを弾きだす村山七郎などなど,そういった人たちを敬愛の情とそこからくる反発の情で捉えているところが本書の第一章の面白さかもしれません.勿論,そのようなエピソードだけでなく,アメリカ構造主義言語学が日本でどのように受け入れられ,更に,その限界がどのように感じられていたか,更に,本場のアメリカではどのようであったかなど,単に文献を読み解くだけでは感じ得ない,その時代の息吹のようなものが随所に現われています.同時代人として生きた著者がその時代の当事者たる言語学者から直接聞いたことばは,何をおいても興味深いものがあります.

そうした錚々たる言語学者のことばの中ではっとしたのが河野六郎によるソシュールの(弟子が作りあげた)『一般言語学講義』に対する「あんなに実用的な本はない」という批評です.

ところで,1988年(今から20年前です・・・)に出た三省堂の『言語学大辞典』の第1巻に「刊行の辞」というのがあります.これは,編著者3人が話し合って内容を決め,編著者を代表して河野六郎先生がお書きになったものですが,その中に,ソシュールが「常識的で分かりやすい,技術的な術語をいろいろ作り出した」とあります.その直後に例として,共時態と通時態や,ラングとパロールの区別など,具体的にあげられていますが,私は,最初それを読んだ時,「あれ?」と思うと同時に,「言われてみればそうだ」と妙に納得したのを覚えています.「あれ?」と思ったのは,当時の私にとっては,ソシュールはちんぷんかんぷん,それを補うために出された数々のソシュール概説書や理論書の類もちんぷんかんぷんだったからでしょう.まぁ,言語学を学び始めてまだ日の浅い当時の私にしてみれば当然ですけど,そうした経験がソシュールは難解だと思わせたのは間違いありません.

しかし,考えてみたら,その『一般言語学講義』は,ソシュールがジュネーブ大学で行なった講義を聴いた弟子たちが自分たちのノートをかき集めて作り上げたものであり,「あの時のあのことばにはこんな事実が隠されていた!」という一種の謎解きみたいなことをしても仕方ないのかもしれません.まぁ,確かに聞いて分かりにくい授業というのはありますし,表現の仕方の巧拙によって,真意が伝わらないということは十分あり得ますが(苦笑),「私が授業でいうことの真意はね,実はこういうことなんですよ」なんて思いながら,授業をする人など果たしているんでしょうか.まぁ,ソシュール先生と自分の授業を同列に扱うつもりは毛頭ありませんが,ソシュールは,案外,もっと明解なことばで語っていたのかもしれませんし,それを弟子たちが難しくしてしまった,あるいは,後の人がソシュールをあがめるあまり,「実はこうに違いない」と穿った(?)見方をしだしたからかもしれません.ちなみに,河野先生のそのことばを直接聞いた田中氏は,「(ソシュールを)よく分からない人だけがひねくりまわして無理に神秘的にしている」といっています.

さて,本書のタイトルは,「言語学が輝いていた時代」です.では,今はどうなのか.本書によれば,言語学は,「下火どころか,もうほとんどご臨終」だそうです.どうしてそのように思われるのか,その理由は,本書によれば,言語学がまず方法論ありきになってしまい,そこから対象をどんどん限定的にしてしまったからです.まぁ,そういわれると,私にも思い当たる節がありますので,ぐうの音も出ないのですが,英語至上主義,一方では,国語大好き主義(と,仮にいいましょう)がかまびすしい中,言語学が社会に対してどのように存在意義を訴えていくのかを問い直す時に来ているのかもしれません.

本の情報:鈴木孝夫・田中克彦『対論 言語学が輝いていた時代』(岩波書店,2008年)
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# by jjhhori | 2008-02-24 16:12 | 紹介

いい授業とは?

何年か前から,静大でも授業アンケートなるものが導入され,最近では,1つの授業の中で「中間」と「最終」と2回アンケートをとることになりました.私が学生だった頃は,授業の内容を評価するなどありえない話でしたが,学生にとっては,自分の意見をいう絶好の機会であり,また,それが授業の改善に繋がるのであれば,確かにいい制度だといえるでしょう.しかし,学生の意見に左右されるあまり,授業内容のレベルが落ちたら,それはそれで問題であり,私は,そこに今のアンケート至上主義に疑問を感じますが,それはさておき,そうしたアンケートをとるたびに思い出す授業が一つあります.

それは,学部生の時に受けたもので,中国音韻学に関する授業でした.中国音韻学というのは,7世紀の中国語の音韻体系を明らかにし,それをいわば祖語と見立てて,そこから現代の中国語(と諸方言)に至る音韻変化のプロセスを明らかにする分野ですが,私は,その授業を受けて,「いやぁ,これはすごい!」と,その奥の深さと幅の広さに毎回圧倒されたものでした.

しかし,その授業,実際に履修登録をしていた人はそれなりにいたと思いますが(おそらくそれでも20人はいっていないはず),実際の授業に出ている人は,5~6人程度,毎回ほぼ出ている人といったら,3人ぐらいという,ある意味,人気のない授業でした.たぶんそれは,内容が極めて高度であること,また,金曜日の5コマという,ほとんどの人がバイトに勤しむ時間帯であったからでしょう.しかも,担当の先生も熱く語るというわけでもなければ,冗談を連発して教室を沸かすというわけでもなく,事実をただ淡々とお話になる,要するに,眠気を誘発するすべての条件が整った授業だったわけです.

それでも,私は,この授業が面白く,毎回楽しみに出席し,授業中も寝ることなく,熱心に先生のお話を聞き,ノートをとっていました.私のいた大学は,いわば専門学校に毛の生えたようなところで,学問をじっくり味わうなどというそういう授業がなかったのですが,その授業は,そうした中にあって,学問への渇きを癒してくれる,まさに格別の存在だったのです.

内容は確かに難しく,実際,その授業に出ていた人たちの間でも大して評判はよくありませんでした.おそらく今流のアンケートをとったら,「難しい」だの「話が単調」だの,散々書かれるところでしょう.しかし,私には,先生のお話しぶりがどうだとかそういうことは一切問題ではなく,先生が説かれることによって,目の前の絡まった糸がほどけていくその様が実に爽快で,それを楽しみに毎回の授業に出ていました.極めて静かな雰囲気の授業でしたが,私は,ただ一人,興奮して授業を受けていたわけです(怪しい人ではありません,念のため).

その授業(通年)は,先生がお書きになった概説(ワープロ打ち)をテキストにして進められましたが,最後のレポートは,その100頁を超える概説を原稿用紙5枚程度(!)にまとめろというものでした.原稿用紙に換算すれば,300枚以上に及ぶものを5枚にまとめろというわけです.これには,難儀しました.が,レポートは,自分が熱心に講義を聴いたという証であり,それを先生に認めていただくには,へなちょこなレポートを書くわけにはいかないと思い,その概説を読み返してはレポートを書き,また,必要に応じて参考文献を読んではレポートを書くということを繰り返しました.レポートを書くのに文字通り呻吟したのは,後にも先にもこのレポートだけでした.それでも何とかレポートを出し,「優」をもらった時の嬉しさは,本当に格別なものがありました.

これには,まだ続きがあります.その先生とは,大学を卒業してからはお目にかかることがなかったのですが,私が静大に来てから2年目の時,その先生を集中講義でお呼びすることになりました.その時から5~6年ばかり経っていましたので,先生の方では,私のことなんぞおぼえていらっしゃらないかと思い,
  「あのー,昔,G大で先生のご講義に出ていたんですが・・・」
と申し上げると,
  「あー,あなた,ここにいたのですか.覚えていますよ.
   あの時のレポート,よく書けていましたねぇ,今でも大事にとっていますよ」
とおっしゃってくださったのです.正直恥ずかしい気もしましたが,その時,先生のご講義を熱心に聴いた証として書いたレポートが先生のお目に留まったことを知り,学生時代に「優」をいただいた時と同じ(かそれ以上の)感激を再度味わうことができました.

「話し方はどうか」とか「板書がどうか」とか「内容がどうか」とか,授業アンケートのそういう設問を見るたびに,私は,その先生の授業のことをよく思い出します.先生は,「韻がどうだ」とか「摂がどうだ」とか,まぁ,客観的にみれば面白くもおかしくもない話をただ楽しそうに,淡々とお話になるだけでしたが,そのお話しぶりから,先生がその分野を長年研究してこられたご経験とご学殖,それから学問に対する熱意や愛情を感じ取ることができました.「話し方がどうだ」とか「板書がどうだ」とか,そういう瑣末なことを超越したのがやはり本物であり,その味が分かるのは,おそらくその時ではなく,後々何年も経ってからではないでしょうか.その授業は,出席していた頃からそのすごさに毎回圧倒されたものですが,本当の意味でのすごさがうすうす分かってきたのは,卒業してから何年も経った後のことでした.

要するに,みなさんが卒業してから何年か経って,「あー,あの時のアレは,コレのことかぁ.よし,もう一度,言語学をやってみよう!」と思ってもらえるような授業というのが私の理想とするものです.そのためには,私自身が本物の味をかもし出すべく,研究に励まなくてはならないわけですが,その先生の境地に達するのは,あと何十年先か,否,永遠に無理なのかなぁと,期待半分,諦め半分が交じり合う,今日この頃です.いずれにしても,「社会に出たらすぐに役に立つ」という即物的・実用主義的な授業などはやなり偽者であって,そのような授業をするつもりは毛頭ありません(まぁ,時代遅れの考え方でしょうねぇ・・・).

尚,授業アンケートについて一言書きますと,時折,匿名であることをいいことに,ボロクソ書く人がいます.まぁ,当たっているものもありますが,人のことを貶めるような意見は,私は全て無視するようにしています.そういうことばかり気にしていたのでは,授業はできませんし,精神衛生上よろしくありません(勿論,聞く耳をもたないといっているわけではありませんよ).では,どのようなのが私に響くのか.答えは,簡単,おだてることです.そうすれば,極めて単純な精神構造しかもっていない私は,「よし,この調子で,次回も頑張ってやろう!」と思うこと間違いありません(まぁ,あらぬ方向に頑張りだしたら,みなさんには,迷惑でしょうねぇ・・・).「いい授業」というのは,本当に難しいものです.
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# by jjhhori | 2007-06-09 21:23 | 授業

偲ぶ会

後期に入ってから少しは書くといいながら,気がついたら,もう年度がかわり,5月もまもなく終わろうとしています.そんな中,久々の更新です.

話は,昨年(2006年)の11月までに遡ります.11月のとある日,チャペック兄弟協会から1通の封書.名ばかりの会員である私には,あまり関係がないことだろうと思いつつ,封を切ってみると,2002年に亡くなられた恩師を偲ぶ会の開催のお知らせでした.場所は,新宿のライオン,時は,暮れの差し迫った12月某日.飯島周・小原雅俊(編)『ポケットのなかの東欧文学:ルネッサンスから現代まで』(成文社)という翻訳選集が先生を追悼して出版された機会に,偲ぶ会を開くということのようでした.

しかし,新宿のライオンといえば,当時,朝日カルチャーセンターで先生のチェコ語講座を受講していた人たちが授業の後,先生を囲んでビールを飲み交わしたところであり,そもそも,下戸の私にとっては,ちょっと行きにくい.しかも,案内を送ってくださったのがチャペック協会の世話人の方であり,偲ぶ会に来るのは,ほとんどがチャペック協会関係者と(それとかなり重なるであろう)朝カル関係者とあれば,尚更,行きにくい.まぁ,そんなことを考えつつ,行くかどうか逡巡していたら,私の友人から「そんなことを言わず,ぜひ行きましょうよ」という強いお誘いがあり,それで行くことにしました.

大阪から上京してきたその友人と待ち合わせて,会場に着いてみると,果たして,ほとんど見知った顔はなし.「あー,やっぱり場違いだったか」と思いながら,辺りを見回していると,やはり同じような気持ちで知った顔を探す知己あり.お互い顔を見合わせ,「おやおや,どうしてまたここに?」といった話をしていると,別のテーブルには,G大関係者がチラホラ,更には,K大のスラブ語学のS先生もいらしているのを発見し,少しばかり安心しました.まぁ,それでも,言語学関係者(と一括りしましょう)は,ごく僅かで,ほとんどがチャペック協会(兼朝カル関係)の人たちでした.

このようなわけで,少しばかり居心地の悪さを感じ,身の置き場に困っているうちに,会が始まりました.先生と古くから親交がおありの元T大のS先生や元G大のK先生などが昔話をなさり,更には,朝カルでチェコ語の授業に出ていたという方々の思い出話を聞いているうちに,会場が何となく先生を慕う気持ちでひとつになり,そのそれぞれの思い出を共有するような,そんな雰囲気に包まれていきました.

私自身は,大学での先生,しかも言語学という狭い世界での先生しか存じ上げなかったのですが,スラブ語学,チェコ文学,ポーランド文学など,実に多くの人たちがそれぞれの立場で先生のご学恩を感謝し,先生との思い出のひとつひとつを大事にしているということに感銘を受けました.普通なら,蛙の子は蛙,言語学の先生からは言語学の研究者しか育たないものですが,一人の先生から実に幅広い分野で活躍する専門家が育つというのは,驚くべきことではないでしょうか.

さて,先生を追悼して出版された『ポケットのなかの東欧文学』,私は買うだけ買って,パラパラめくった程度しか読んでいませんが(いつか読みますよ,きっと),その翻訳に付された作品をみてみても,時代的に幅が広く,しかも東欧をほぼ網羅する,おそらく初の試みであることが分かります.これだけの人材が揃うのは,少し昔なら到底考えられることではありません.これは,やはり,とりもなおさず,ひとえに先生のご学恩の広さを表わすものといえるでしょう.文学関係の方々がこのような一書を出したその一方で,言語学の人たちも先生のご学恩に報いるべく,言語学における先生の学殖の広さを示すような本を出す必要があるのではないかと,帰る道すがら,考えていました.まぁ,とはいっても,思っただけです,思っただけ.でも,そういう本が出たらいいなぁとは思っています.

と,実は,ここまでは,3月の半ばに書いたのですが,その後,推敲をしようと思っているうちに,忙しさにかまけ,時はすでに5月.今年度の「言語学基礎演習」もすでに始まっていますので,それ関連のネタをまた書いていきたいと思っています.いや,思っているだけです,思っているだけ(?).
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# by jjhhori | 2007-05-28 18:39 | 裏話
今回は,ガラにもなく,絵本の話などを.「言語学とは全然関係ないじゃないか」とお思いの方,最後までお読みください.

中国語でいえば「天高気爽」という表現にぴったりなある日の午前,静岡アートギャラリーで開かれている「世界の絵本がやってきた:ブラティスラヴァ世界絵本原画展」を見てきました.

「ブラティスラヴァ世界絵本原画展」は,1967年に第1回目が行なわれ,2年ごとにスロヴァキアの首都ブラティスラヴァで開催されているものです.静岡アートギャラリーでは,2005年秋に開かれた第20回の同展から,各国の受賞作品と日本人による出品作が紹介されています.そちらの方もかなり充実した,素晴らしい展示でしたが,私の心をひいたのは,チェコの1920~30年代の絵本と原画の併設展でした.

その時代のチェコの代表的な絵本作家といえば,イジー・トゥルンカ(1912-1969),ヨゼフ・チャペック(1887-1945)などなど.ヨゼフ・チャペックは,かのカレル・チャペック(1890-1938)の兄で,画家あるいはグラフィック・デザイナー,劇作家などとして幅広く活躍しました.実は,私は,日本チャペック兄弟協会の会員なのですが,かといってチャペックに詳しいというわけではなく,日本チャペック兄弟協会は,私の言語学の恩師が設立した団体であるという理由で入会した,まぁ,不届きな会員です.

今回の併設展に出されたチェコの絵本とその原画の多くは,個人所蔵のもので,私は,「もしかしてもしかすると!」という期待を込めて,その展示に行きました.というのも,私の恩師は,蒐書家で有名な方で,そのコレクションは,ご自身のご専門のスラブ系の言語のみならず,東欧のあらゆる時代のあらゆるジャンルの本に亘り,かなりの数の稀覯書もお持ちでいらっしゃいました.そのうち,1920~30年代にヨゼフ・チャペックが装丁した古書でご自身で集められたものを『チャペックの本棚:ヨゼフ・チャペックの装丁デザイン』(ピエ・ブックス,2003年)として1冊にまとめられています.ちなみにその先生には,チェコの文学作品だけでなく,絵本の翻訳もいくつかあります.

まぁ,そういうようなわけで,もしかすると今回展示されているのは,その先生の蔵書かなと期待して行ったのですが,聞いたところによると,それらの蔵書本は,チェコの方のものだということで,私の期待は外れてしまいました(ただ,その時,学芸員の方がいらっしゃらなかったので,確かかどうかは分かりません.また,今回の展示は,全国を巡回しているものであり,必ずしも静岡アートギャラリーの企画によるものではないので,そういった細かいことまではご存じなかったのかもしれません).

しかし,展示そのものは,実に見事なもので,上にあげた著名な作家の作品だけでなく,日本の昔話をチェコ語に翻訳したものまでありました.1920年代前後にすでに日本の昔話がチェコに紹介されていたんですねぇ.驚きました.また,それぞれの作品の概要を載せた資料がもらえましたので,表紙をみながら,その絵本の中でどのような話が展開されているのかを知ることができました.

チェコだけでなく,東欧にも優れた絵本はたくさんあり,実際,かなりのものが翻訳されていて,選ぶのに迷うぐらいです.その中で,私の娘は,マレーク・ベロニカというハンガリーの作家の絵本,とりわけアンニパンニという女の子とブルンミという小熊を主人公にしたものがお気に入りのようで,アンニパンニシリーズの日本語版は,ほとんど揃えたくらいです(ただ,日本語訳がどうもこなれていないのが難点).また,同じ作家の作品で『ラチとらいおん』(福音館書店)というのも,やはりお気に入りの一冊のようです.その『ラチとらいおん』の訳者は,ハンガリー語学の碩学・徳永康元先生.徳永先生は,上に述べた私の恩師の師匠で,以前,この「裏番組」でも紹介したことがあります.『ラチとらいおん』が翻訳されたのは,1965年,今から40年前ですが,プリントを重ね,今日でも新刊で手に入るところをみると,相当人気のある作品なのでしょう.ちなみに,最近は,マレークさんの絵本のキャラクターをつけた様々なグッズが売られているようです.

と,まぁ,最後に,何とか言語学に結びつけたわけですが,それはさておき,絵本の奥深さを感じさせる,なかなか素晴らしい展示でしたので,是非ともお薦めしたいと思います(ちなみに,静岡アートギャラリーに行くと,その隣のホテル・センチュリー静岡のレストランなどの10%割引券がもらえます).絵本の世界に浸りつつ,自分のお気に入りの1冊を探すだけでなく,将来,子供ができた時に読んであげたい1冊を探したりと,いろいろと楽しめます.絵本というのは,様々な想像をかきたてるものだとつくづく感じました.

[情報]
 「世界の絵本がやってきた:ブラティスラヴァ世界絵本原画展」
 「(特別展示)チャペック兄弟,ラダ,トゥルンカ:チェコ絵本の黄金時代」
  場所:静岡アートギャラリー
  開催日:2006年11月26日(日)まで(午前10時~午後7時).
  入館料:一般1,000円,大高生800円
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# by jjhhori | 2006-10-30 16:57 | 紹介

大島正二著『漢字伝来』

後期一発目の更新は,本の紹介です.今回紹介するのは,岩波新書の新刊,大島正二著『漢字伝来』,ここ最近出された岩波新書の中では,まさに出色の本です.

本書は,日本語が如何にして漢字を受け入れたかという,文字からみた文化交流史を概説したものです.私たちは,普段,漢字を当然のように使っていますが,少し考えてみると,漢字を使っていること自体,実は,とても不思議なことです.というのも,漢字は元来,中国語という日本語とは違った構造をもつ言語を表わすために創られたものであり,日本語を書き表わすには適さない文字だからです.すなわち,言語類型論的にいえば,中国語は,原則的に1つの語が1つの形態素からなり,いわば,語が構造をもたない「孤立語」であるのに対し,日本語は,語幹にさまざまな要素が随意的に付いて語が形成される「膠着語」であり,両者の間には構造的に大きな隔たりがあります.そうした構造的に大きく異なる言語を表わすために創られた文字を日本語に当て嵌めようとしたのですから,様々な工夫が必要だったことが容易に想像できるでしょう.本書は,漢字を日本語に如何に適用させていったかを説いたものであり,そこに本書の面白さがあるといえます.

そもそも,漢字は,1つの字が1つの形態素を表わし,それがそのまま語に対応しているわけですから,漢字は,語を表わす表語文字であり,しばしばいわれるように表意文字というのは正確ではありません.つまり,個々の漢字は,実質的な意味を担った単位を表わすわけですが,日本語には,実質的な意味をもたず,単に文法的な意味しかもたない(国文法でいうところの)助詞や助動詞(実際にはその多くは接尾辞)があり,実質的な意味を担った単位を表わす漢字でそれらを表わすには無理があります(尚,誤解を防ぐために付言しておくと,中国語にも助詞などに相当するものはあります).言い換えれば,中国語は,実質的な意味を担う単位が石ころのようにポツポツと配置されるので漢字で十分対応できるのですが,日本語に漢字を適用する際には,石ころはともかくとして,石ころ同士をつなぎ合わせる接着剤のような要素を漢字でどのように表わすのかが大きな問題としてあったということです.

また,中国の周辺でも多くの言語が漢字の影響を受け,その受容を試みていますが,例えば,日本語と言語構造が似ている朝鮮語は,日本語ほど漢字が浸透せず,ハングルという独自の文字を開発しました.一方,中国語と構造が似ているベトナム語においても漢字は浸透せず,やはりローマ字による正書法が確立されました.つまり,日本語において漢字が浸透したという事実は,漢字の影響を受けたそれらの言語の中において例外的であったということですが,それを可能にさせたのは,表語的な漢字から表音的な仮名を作り出したこと,それから,漢字を日本語の語にそのまま当て嵌める訓読みという方法を案出したことです.本書は,このような事実を踏まえ,先人が如何に工夫して漢字を取り入れたかを説いており,その過程を知るための格好の入門書といえるでしょう.また,補章として「日本漢字音と中国原音の関係を知るために」というのがあるのも,まさに痒いところに手が届く配慮だと思います.

著者の大島正二先生は,中国語学,とりわけ,昔の中国語の音韻の解明を図る中国音韻学の大家です.実は,私は,大学院の時に,大島先生の授業を1年間受けたことがありました.中国語学・文学専修の学部3・4年生を対象にした授業で,内容は,中国の言語学史を扱うものでした.義書(漢字の意味を説明する書)に始まり,字書(漢字字典.その代表は,許慎の『説文解字』),そして,韻書(発音辞典)の一部に話が及び,最後は,中古中国語の音韻体系の再構とその問題を解説され,かなり高度なものでした.ただ,その当時,大島先生は,学部長をなさっていたために,休講が多く,その点がとても残念でした. ちなみに,その授業の内容は,後に『中国言語学史 増訂版』(汲古書院,1998年),また,『辞書の発明―中国言語学史入門』(三省堂書店,1997年)として上梓されました.前者は,専門的な内容ですが,後者は,一般向けに書かれたもので,これもお薦めの一書です.

言語学専攻の学生であったにも拘わらず,わざわざ先生に頼み込んで授業を受けさせていただいたのは,内容が面白そうだということに加え,私の言語学の恩師が「大島さんはとてもいい人だから,授業は受けておいた方がいい」とお薦めになったからでもありました.私の恩師は,その世界では,毒舌をもって知られる方で,「あいつはバカだ・ダメだ」とおっしゃるのはよく聞いていましたが,「あの人はとてもいい人だ」とおっしゃるのは極めて稀(?)でしたので,そういうこともあって受講したわけです.今にして思えば,大島先生の授業に出たのは,とても幸運なことでした(しみじみ).

大島先生には,同じく岩波新書から『漢字と日本人―文化史をよみとく―』(2003年)というのがあり,こちらは,中国において漢字がどのように捉えられてきたのかを概説したもので,本書と併せて読むことをぜひとも薦めたいと思います.

尚,折りしも,万葉仮名の最古の木簡資料が出土したというニュースがありました.これまでの定説よりも20~30年ほど遡る,大化の改新(645年)辺りに,万葉仮名が確立したことを示す資料であり,漢字を表音文字的に用いたそのプロセスを解明する上で,極めて貴重な資料といえるでしょう.

本の情報:大島正二『漢字伝来』(岩波新書,2006年)
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# by jjhhori | 2006-10-20 21:13 | 紹介