授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など


by jjhhori

カテゴリ:裏話( 10 )

偲ぶ会

後期に入ってから少しは書くといいながら,気がついたら,もう年度がかわり,5月もまもなく終わろうとしています.そんな中,久々の更新です.

話は,昨年(2006年)の11月までに遡ります.11月のとある日,チャペック兄弟協会から1通の封書.名ばかりの会員である私には,あまり関係がないことだろうと思いつつ,封を切ってみると,2002年に亡くなられた恩師を偲ぶ会の開催のお知らせでした.場所は,新宿のライオン,時は,暮れの差し迫った12月某日.飯島周・小原雅俊(編)『ポケットのなかの東欧文学:ルネッサンスから現代まで』(成文社)という翻訳選集が先生を追悼して出版された機会に,偲ぶ会を開くということのようでした.

しかし,新宿のライオンといえば,当時,朝日カルチャーセンターで先生のチェコ語講座を受講していた人たちが授業の後,先生を囲んでビールを飲み交わしたところであり,そもそも,下戸の私にとっては,ちょっと行きにくい.しかも,案内を送ってくださったのがチャペック協会の世話人の方であり,偲ぶ会に来るのは,ほとんどがチャペック協会関係者と(それとかなり重なるであろう)朝カル関係者とあれば,尚更,行きにくい.まぁ,そんなことを考えつつ,行くかどうか逡巡していたら,私の友人から「そんなことを言わず,ぜひ行きましょうよ」という強いお誘いがあり,それで行くことにしました.

大阪から上京してきたその友人と待ち合わせて,会場に着いてみると,果たして,ほとんど見知った顔はなし.「あー,やっぱり場違いだったか」と思いながら,辺りを見回していると,やはり同じような気持ちで知った顔を探す知己あり.お互い顔を見合わせ,「おやおや,どうしてまたここに?」といった話をしていると,別のテーブルには,G大関係者がチラホラ,更には,K大のスラブ語学のS先生もいらしているのを発見し,少しばかり安心しました.まぁ,それでも,言語学関係者(と一括りしましょう)は,ごく僅かで,ほとんどがチャペック協会(兼朝カル関係)の人たちでした.

このようなわけで,少しばかり居心地の悪さを感じ,身の置き場に困っているうちに,会が始まりました.先生と古くから親交がおありの元T大のS先生や元G大のK先生などが昔話をなさり,更には,朝カルでチェコ語の授業に出ていたという方々の思い出話を聞いているうちに,会場が何となく先生を慕う気持ちでひとつになり,そのそれぞれの思い出を共有するような,そんな雰囲気に包まれていきました.

私自身は,大学での先生,しかも言語学という狭い世界での先生しか存じ上げなかったのですが,スラブ語学,チェコ文学,ポーランド文学など,実に多くの人たちがそれぞれの立場で先生のご学恩を感謝し,先生との思い出のひとつひとつを大事にしているということに感銘を受けました.普通なら,蛙の子は蛙,言語学の先生からは言語学の研究者しか育たないものですが,一人の先生から実に幅広い分野で活躍する専門家が育つというのは,驚くべきことではないでしょうか.

さて,先生を追悼して出版された『ポケットのなかの東欧文学』,私は買うだけ買って,パラパラめくった程度しか読んでいませんが(いつか読みますよ,きっと),その翻訳に付された作品をみてみても,時代的に幅が広く,しかも東欧をほぼ網羅する,おそらく初の試みであることが分かります.これだけの人材が揃うのは,少し昔なら到底考えられることではありません.これは,やはり,とりもなおさず,ひとえに先生のご学恩の広さを表わすものといえるでしょう.文学関係の方々がこのような一書を出したその一方で,言語学の人たちも先生のご学恩に報いるべく,言語学における先生の学殖の広さを示すような本を出す必要があるのではないかと,帰る道すがら,考えていました.まぁ,とはいっても,思っただけです,思っただけ.でも,そういう本が出たらいいなぁとは思っています.

と,実は,ここまでは,3月の半ばに書いたのですが,その後,推敲をしようと思っているうちに,忙しさにかまけ,時はすでに5月.今年度の「言語学基礎演習」もすでに始まっていますので,それ関連のネタをまた書いていきたいと思っています.いや,思っているだけです,思っているだけ(?).
[PR]
by jjhhori | 2007-05-28 18:39 | 裏話
今回のテキストは,著者が近しい人ですので,あれやこれや書くと,「ちょっと!アンタっ!何書いてんのっ!」というお叱りがくるかもしれないことを考え,当たり障りのない話を書くことにします(この授業の受講生以外でも結構みている人がいるらしい・・・).

「フィールドワークをしている」などというと,必ずといっていいほど「寝泊りはどうしているんですか?」という質問をされます.人間にとって必要な衣食住のうち,食と住はどうするのかというもっともな疑問です.そういった質問に対し,「普通のお宅にホームステイしています」というと,聞いた相手は,何となくがっかりしたような表情をみせるものです.「いやいや,熊にビクビクしながらのテント生活で,熊と争いながら一命を賭して川で鮭をとっていますよぉ」という,サバイバルゲームを連想させるような答えを期待している人が多いのでしょうね(私の思い過ごしかもしれませんが).

まぁ,でも考えてもみてください.私が行っているのは,カナダのブリティッシュ・コロンビア州の北西海岸にあるクィーン・シャーロット諸島(「ハイダ島」とも)というところで,カナダといえば,いわゆるG7の一つです.島であっても,電気・水道が通じているところで,特にこれといった不自由を感じることはなく,また,熊と格闘しているわけでもありません(実際,熊はいますが).

私が滞在しているのは,70代後半のハイダ族のおばあさんのご家庭.普段は,そのおばあさんとトイプードルと一緒に一夏を過ごしています.そのおばあさんには,私の仕事のお手伝いをお願いしているのですが,それがとても楽しいらしく,私がいる間は,朝からハイダ,昼もハイダ,夜も寝るまでハイダで,一緒にやっている私の方がくたばりそうな感じです.まぁ,とにかくお元気,決してじっとしていません.

『滅びゆくことばを追って』では,著者が滞在中のモーテルに話者を連れてきて調査を行なっていましたが,私の場合は,自宅(というより,そのおばあさんのお宅)か,あるいは,村に住んでいる別の話者のお宅に行って,調査をしています.いわば「通い型」です.ホテルかどこかに滞在するというのは,自分のプライバシーが完全に保護されて,仕事に没頭できるという点でとても魅力的です.しかし,観光地でもある島には私が泊まれるほど手ごろな値段のホテルがありませんし,ホテルのあるところと話者の方たちが住んでいるところが離れていますので,この「お招き型」は,私の場合,ほとんど不可能です(それよりも何よりも,ホテルに泊まると,食事のことを考えなくてはならないという難点があります).

勿論,人の家に1ヶ月以上滞在するわけですから,それなりの気疲れというものがあります.例えば,突然のお客さんが来たためにその日の予定がすべてパーになったなんてこともしょっちゅうあります.また,調査に通っているお宅に,夏休みで帰省している孫たちがいたりすると,お年寄りの目は,完全に孫に釘付け,調査の方は,気もそぞろ,もう知ったこっちゃないという感じになります.ある時など,折角とった録音資料も子供の「ギョェエエエエー!」と泣き叫ぶ声とそれを叱り付ける親の声にかき消されて,肝心の部分が全く録音されていなかったなんてこともありました(涙).まぁ,子供がいたら,その日は,ダメだという覚悟をする必要があるわけです.

まぁ,こういったことはありますが,普通の家庭に滞在したり,調査のために訪れたりすることによって,知り合いも増えますし,また,家族のように扱っていただけるのは本当にありがたいことです.実際,今お世話になっているお宅に着いてその見慣れた風景をみると,「あぁ,帰ってきたなぁ」という一種の安堵感すら覚えます.まぁ,そうした気分を味わいたくて,何度も同じところに行っているのかもしれません.フィールドワークをすることによって,自分の帰省する先がもう一つ増えた,何となくそんな感じがします.
[PR]
by jjhhori | 2006-05-25 10:03 | 裏話
7月も終わりかけのある日,日本チャペック兄弟協会から一通の書信が届きました.チャペック兄弟協会というのは,テキストの著者が設立したチャペック兄弟(カレルとヨゼフ)の作品の研究と鑑賞を主たる目的とする組織です.私は,その会員ではあるものの,チャペックのチャの字も知らない,一種の不名誉な会員ですが,まぁ,それはともかく,「何じゃろ」と思いながら,封を開けてみると,8月某日に第一サティアンにて先生の蔵書のガレージセールをするとのこと.カナダに出発する2日前,しかも,7月末に引越しをし,その荷物がまだ十分片付いていないにも拘わらず,このような機会を逃せば必ず後悔するであろうと思い,行くことにしました.

場所は,世田谷の某所.第一サティアンは,甲州街道から少し奥に入った住宅街の中にあるマンションの一室.7~8畳程度のワンルームの三方の壁には本棚が据え付けられ,更にその前をふさぐようにダンボールで臨時に作られた本棚が並び,部屋の中央にも同じような本棚があって,まさに本だけの部屋でした.おそらく先生お一人だったならば難なく移動できたのでしょうが,今日は,先生の蔵書をじっくり吟味し,一冊でも多く手に入れようという人たちで溢れかえり,外の暑さと部屋の中の熱気で息苦しくなるぐらいでした.

前にも紹介したとおり,ここ第一サティアンはスラブ関係と言語学関係の蔵書がおさめられていたそうです.聞くところによれば,上野にある国際こども図書館に600冊あまりのチェコ語の児童書や絵本がすでに収められているそうで,今回は,その他の蔵書の一部を整理してガレージセールを開いたとのことです.おそらく稀覯本も含まれているのでしょうが,せいぜい高くて3千円,ほとんどが100円から500円という値段でした.

しかし,いざ選ぶとなると,何となく妙な遠慮が出てくるものです.手にとってみていると,どうもあの世から「あー,それ,ダメダメ」といわれているような気がし,何度も出したり引っ込めたりしていました(笑).それよりも,本の数が膨大なことと,何しろ,ほとんどがスラブ関係の本で,小説から歴史書,建築関係から美術書などなど,私などがもっていても本に申し訳ない気がして,そういったような遠慮からなかなか手が出せませんでした.

それで結局,言語学関係の本を何冊か買って,サティアンを後にしたのですが,一緒に行った友人は,ドイツ語の小説で先生の書き込みがあるのをみつけて喜んでいました.「あー,そんなのがあったのか」と思っても後の祭り.私が買った本にも鉛筆で線が引かれてあるのがありましたが,果たしてそれが先生による線なのか,それとも前の持ち主のものなのか,さすがに線による筆跡鑑定まではできませんので,ひとまず先生のものだと勝手に思い込むことにしました.

しかし,その日の最大の収穫を得たのは,一緒に行った私の妻でした.彼女は,チェコ語も知らなければ,言語学も全く知らないので,専ら絵本を目当てに探していたのですが,先生が訳された絵本の在庫の中に,チェコ語の絵本に鉛筆で日本語訳が書かれていたものをみつけました.「お子さんが書いたのかなぁ」といって出した本を見て,私と友人は,「これ,先生の直筆じゃない!」とびっくり.全部ひらがなで,先生の細かくて整った字がきれいに並んでおり,間違いなく先生の手です.お子さんのためにお書きになったのか,それとも,下訳だったのか分かりませんが,とにかく我が家の家宝となる貴重な本といえるでしょう.

このガレージセールは,その日が第一弾で,第二弾もその翌週に行なわれるとのこと.もうその日にはカナダに行ってしまっているので,行けないのがとても残念です.でも,これ以上サティアンにいつづけると,本が発する毒ガスにあてられそうな気がしないでもありませんが,その一方で,もう一度,その毒ガスを吸ってみたいと思う気持ちもあるようで,先生の蔵書に込められた毒ガスを吸っては,サティアンを思い出しています(笑).
[PR]
by jjhhori | 2004-08-07 22:44 | 裏話

裏話7:河野六郎先生

河野六郎先生については,テキストの「文字論」や「言語類型論」でお名前がでてきましたし,更には,後ろの「日本の言語学者 河野六郎」でも詳しい紹介がなされています.私自身は,残念ながら,河野先生に直接教わったこともなければ,お目にかかったこともありませんが,私が直接教わったテキストの著者だけでなく,大学院の時の指導教官も河野先生に相当影響を受けたそうですし,河野先生の著作集などを通じて,ご研究に触れる機会はありましたので,かねてより私淑している言語学者のおひとりです.

河野先生(1912~98)のご研究の出発点は,中国音韻学.すでに旧制一高在学中に,スウェーデンの中国語学者Bernhard Karlgren(1889~1978)のEtude sur la phonologie chinoise(『中国音韻学研究』)を読んで,深い感銘を受けたというほどの秀才だったそうです.東京帝国大学に提出した卒業論文「玉篇に現れたる反切の音韻的研究」は一個の完全な作品として,後に刊行された『河野六郎著作集2 中国音韻学論文集』(平凡社,1979年)にそっくりそのまま収録されています.

この河野先生の卒業論文については,ひとつのアネクドートがあります.河野先生は,戦前に京城帝国大学で教鞭をとっておられましたが,終戦直後の混乱で,先生は,著書『朝鮮方言学試攷-鋏語考-』(1945年)とお子様のおしめと哺乳瓶だけをもって帰国船に乗り込まれ,それ以外の蔵書はほとんど朝鮮に残したまま帰国されたそうです.その蔵書の中には,先生の卒業論文が入っていたのですが,そのような事情のために長年行方不明になっていたところ,ある時,ある著名な韓国人研究者が先生の卒業論文を釜山の古書店で発見し,後に河野先生に返還されたために,著作集に再録することができたわけです.

この卒業論文は,梁の顧野王撰の字書『玉篇』で用いられている反切(漢字の表音方法の1つ)から六朝時代の中国語の音韻を明らかにしようというもので,卒業論文のレベルをはるかに超える優れた作品です.これを20代そこそこの人が書いたとは,とても信じられないぐらいで,実際,ある有名な中国音韻学の研究者は,この卒業論文を評して「そんな若い時にどうしてこんなすごいものが書けたのか驚きだ」とおっしゃっていました.

先生の研究領域は,中国音韻学だけでなく,朝鮮漢字音,中期朝鮮語の文法体系の記述,更に,文字論,言語類型論にまで及んでいます.勿論,先生のご業績のすべてを読んだわけではありませんが,先生の論文の多くに共通していえることは,論理の道筋がはっきりしていること,また,難しいことばを使って飾り立てるのではなく,極めて平易なことばしか用いないこと,しかし,それでいて,格調高い文体で統一されている点です.まさに論文の手本といってもいいでしょう.河野先生は,啓蒙的なものにはあまりご関心がなく,そのために,素人向けの文章は少ないのですが,例えば,テキストの「文字論」で紹介されていた「文字の本質」は,とても論旨が明解で読みやすく,しかし,それでいて,かなりのレベルを備えた見事な論文ですし,「轉注考」(河野六郎『文字論』三省堂に再録)は,先生の該博な知識と実証的な考察がうまく調和したすばらしい論文といえます.また,皆さんもよく利用している『言語学大辞典 第6巻 術語編』(三省堂)の「言語」「言語学」「言語類型論」「単肢言語と両肢言語」「文字論」といった項目は,署名はありませんが,明らかに河野先生がお書きになったものです.それから,『言語学大辞典 第1巻』の「刊行の辞」は,これまでの言語学の歴史を俯瞰し,そのあるべき姿を示した名文中の名文といっても過言ではありません(これは,毎年,3・4年生向けの授業の初回に読んでいます).

河野先生は,ご研究の対象の中国語,朝鮮語はいうにおよばず,英語,ラテン語,ギリシア語,サンスクリット語,アラビア語,ドイツ語,フランス語などなど多くの言語がおできになったそうです.ちなみに,千野栄一『外国語上達法』(岩波新書)に出てくる,暑い夏にはエスキモー語,冬にはスワヒリ語を勉強なさる「R先生」というのは,河野先生のことのようです.

河野先生が語学を習得される目的は,読み書きができるようになるためというよりも,ご自身の言語研究の視野を広げられることにあったようです.しかし,それでも凡人のレベルをはるかに超えていたようで,ある時,エスキモー語の研究をしている私の指導教官が河野先生にエスキモー語について教えてほしいといわれ,参上したら,次から次へと本質的な質問が飛んできて,相当冷や汗をかいたとおっしゃっていました.それぞれの言語のクセを見抜く力がおありだったことを表わしていると思います.それだからこそ,『言語学大辞典』(三省堂)という20世紀の日本の言語学における最大の成果が出来たのでしょう.先生は寄せられた原稿をひとつひとつ丹念にお読みになっていて(その話を後で聞いて,私はそれこそ冷や汗がどーっと出ました),その蓄積の成果が「日本語の特質」(『言語学大辞典 第2巻』所収)となって現われたのであり,その点においてこの「日本語の特質」は巷の特質論とは比べものにならないほど優れているといえます.ちなみに,『言語学大辞典』の編修作業中は,ずっと三省堂に詰めておられ,お昼は決まっておそばだったと,編修担当者の方に伺ったことがあります.

河野先生は,その足跡からもまさに不世出の言語学者であったことは明らかで,また,弟子をとても大事になさる優れた人格者でもあったそうです.東京教育大学(現・筑波大学)で教鞭をとっておられた頃,「将来教師となる人たちに『可』をつけるわけにはいかない」とおっしゃって,言語学概論では,「可」をつけなかったそうです.そうしてみれば,ばんばん「可」を出している私なんぞは,人格者のかけらもない朴念仁ということでしょうか.まぁ,教師もいろいろ,言語学概論もいろいろ,成績もいろいろです(笑).
[PR]
by jjhhori | 2004-07-21 17:30 | 裏話
著者には,『外国語上達法』(岩波新書,1986年)という著書があります.みなさんの中にも読んだことがある人もいるでしょう.「必要なのはお金と時間」というのをみて,「なーんだ」と思った人もあるでしょうし,一方で「まず,これとこれはおさえておけ」とか「基本語彙のこれだけは覚えろ」といった具体的な話を読んで「よしやってみよう」という気になった人もいるでしょう.また,語学の教師に求められる条件についても1章が割かれていますので,特に英語や日本語の教師をめざす人には,是非とも読んでほしいと思います.

本書の冒頭に「私は語学が苦手である」とありますが,これは相当割り引いて受け止めるべきです.苦手どころか,語学の才能が相当おありだったことは,手がけられた言語の多さからあきらかであり,その本がかなりの説得力をもっているのも,語学が相当おできになったからです.

言語学をやっている人をみると,本当に語学の才能に恵まれた人と,語学の才能はおろか,使える言語は自分の母語だけという人の2つに分けることができると思います.そして,後者に属する人は,自分は言語学をやっていながら,語学ができないことを自慢げに(?)話すという共通の特徴があります(勿論,私は後者です.笑.いや,笑っている場合ではない).

たとえば,私の知人で,中国の内蒙古出身の人がいるのですが,その人は,モンゴル語は勿論,中国語もでき,しかも大学では日本語を専攻していたので,日本語も完璧.更に,来日してから英語を勉強して,1年かそこらで,ブルームフィールドの『言語』を原書で読み始めたかと思ったら,ロシア語を使ってシベリアの言語を調査し,その言語も習得してしまっているという,私から見たら神業のようなことを平気でやってのけています.

あるいは,ある国際シンポジウムで,ある高名なアメリカの言語学者が発表を英語で行ない,質疑応答の時に,日本人には日本語で,フランス語を話すアフリカの人にはフランス語で,更に,中国人には中国語で応じているのをみて,これまた驚いたことがあります.世の中には語学の才に恵まれた人がいるものです(ため息).

『外国語上達法』に話を戻しますと,この本の特徴は,言語学からみた外国語の上達法である点です.もっといえば,ここに書かれている外国語上達法は,言語調査の手法にも通ずるものがあり,フィールドワークを志す人にも某かの学ぶべき点があるといえます(著者がそこまで意図していたかどうかは分かりませんが).また,テキストの中で出てきたFSP理論などについても言及がありますので,そういう点でも読んでみる価値があるといえるでしょう.

尚,その本の中に,R先生とかS先生とか,イニシャルでお名前が書かれた方が登場しますが,これは姓ではなく,名の方のイニシャルです(但し,そうでない方もいらっしゃいます).そうなると,「東京の西の郊外に住むEさん」というのは,どなたのことか分かりますね.

どの程度までできればその外国語をものにしたといえるのかは人によって違いますが,まずは,目的をもつことが大事です.その目的が達成し得た時点で,とりあえずものにしたといえると思います.ただ漫然とやっていても,外国語は上達しない,それから,一度挫折した外国語は何度やっても挫折するというのは,私の経験からいえる外国語停滞的スパイラルの法則です(笑).
[PR]
by jjhhori | 2004-07-06 17:46 | 裏話
「言語学概論」といえば,みなさんの多くにとっては,水曜日の4コマ目,ちょうどお昼寝にはもってこいの時間帯に繰り広げられる,最も忌むべき(?)授業の1つでしょう.しかも,それが必修科目の1つに指定されているわけですから,みなさんの心情は察するに余りあります.そのような授業を心から楽しいと思い,水曜日は朝から気分がウキウキだなどといえば,変人の謗りは免れないことと思いますが(笑),私が学生の時に受けた言語学概論は,毎回面白くて仕方ないという内容で,その意味で,私は幸せだったと思います(もっと幸せなことに,必修科目ではなかった.笑).更にいえば,著者による言語学概論を受けなかったら,今日の私はなかったと思います.

さて,著者による「言語学概論」は,水曜日のお昼寝時などではなく,なんと月曜日の朝1コマ目.にも拘わらず,人大講規模の教室がほぼ満杯になるという具合で,名物授業の1つだったといえます.

1コマ目の開始時刻は8時半という高校並みの早さでしたが,先生がご登場になるのは大体8時50分頃.先生は,朝のラッシュに巻き込まれるのがお嫌で,授業開始の1時間前には大学にいらしていたそうですが,学生が大体揃う時間帯を見計らってご登場になっていたようです.

先生の授業の特徴をあげるとすれば,まず第一に,マイクなし.先生はマイクがお嫌いで,それだけの大きな教室であったにも拘わらず,マイクはほとんどお使いになりませんでした.しかし,とてもよく通るお声でしたので,後ろの方まではっきりと聞こえていたようです.私は学生の時にはあまり感じなかったのですが,先生の退官記念に行なわれた最終講義のテープをたまたま聞いてみたら,かなりの早口だったことに気付きました.しかし,お声がお歳の割に若々しく,しかも発音がとても明瞭でしたので,あまりいい状態の録音ではありませんでしたが,内容が十分理解できるほど,歯切れのいい日本語でした.

第二の特徴は,ノートや資料一切なし.いつも手ぶらで教室に入ってこられ,前に座っている学生に前回の内容を確認してから,お話になるのが常でした.おそらく長年のご経験からそのようなスタイルになったのでしょうが,澱みなく,滔々とお話しになるのは,まるで講談か何かを聞いているようなほど,見事なものでした.勿論,同じことの繰り返しというのもありましたが(笑).ちなみに,私などは,手ぶらで教室に入っていくという勇気はとてもなく,ノートがないと,話があちこちにいったり,大事なことを言い落としてしまったりという不安があります.先生の域に達するのはまず無理だと思いますが,ノートとプリントをしっかり用意するというこのスタイルは,大学院の時の指導教官の影響でしょうね.

こうして約1時間ばかりお話しになった後,終了の大体10分前に「じゃ生きてたら,また来週」という,冗談だか本気だか分からないお言葉を残して,教室を後にされるのでした.

授業の内容は,その大学が外国語に重点を置いていたこともあって,それぞれの学生が外国語を習得する上でヒントとなるようなものを心がけていたと,先生ご自身おっしゃっていました.改めて,学生時代のノートをみてみると,今使っているテキストと内容がかなり重なっているように感じます(順番は違いますが).ただ,テキストの方は,ある程度の字数制限があったために,具体例や多少の説明が省かれているところがあるように感じます.授業を聞いていれば,「あぁ,あのことか」とすぐピンとくるのですが,そうでなければ,理解するのに少し時間がかかるところもあるでしょう.

学生時代に先生の授業を受けて,「言語学って面白いんだなぁ」と自分が感じたように,みなさんがそう感じる授業をしてみたいという気持ちは十分あるんですが,なかなか思い通りにいかないものです.難しいことをやさしく説くというのは,それだけ自分が十分理解していなくてはならないわけで,難しいことを難しくしゃべっているのは,要するにその本人が全然分かっていないということです.人にちゃんと説明できるかどうかによって自分がどの程度理解しているかが分かるとすれば,私は,まだまだだなぁと,言語学概論が終わった後,いつも自己嫌悪に陥っています(苦笑).

最後に,先生の授業から名言集を少々:

言語外現実に対応する人名の例:
  「いのうえ しんぞう」(分かりますか?)
ある日の授業の第一声:
  「ですから」(私は身もだえして笑いました)
休講のアナウンスの仕方:
  「来週は風邪を引きますので,休講にします」(私も時々使っています)

では,生きてたら,今度の火曜日に.
[PR]
by jjhhori | 2004-06-11 14:22 | 裏話
昨日に引き続き,著者ネタ第3弾.

『ビールと古本のプラハ』(白水社)というエッセイ集をお出しになるほど,著者のビール好きは有名でした.朝日カルチャーセンターでチェコ語を教えていらした頃は,授業の後,その受講生とほぼ毎週ビールを飲んでいたそうです.その本には,その店が開店していつ頃のビールが一番おいしいかも十分説得力のある理由とともに詳しく説かれていますので,ビールが好きな人はぜひ一読をすすめたいと思います.

私はお酒が一切飲めませんが,酒宴にお供したことは何度かあります.ある時,ビアホールで飲み物を注文するのに,お酒が飲めない私はどうしたものかと悩んでいたら,すかさず「ホリくんは,中国語をやっているから,そんな口に卑しい酒なんて飲まないよ」と助け舟を出してくださったことがありました(註:中国語で「ビール」は口偏に「卑」に「酒」と書きます).お酒がお好きといっても,単に飲んで騒ぐのではなく,その場の雰囲気を楽しむのが目的で,そのために,場を和ませるのがとてもお上手だったように思います.

また別の時ですが,店員の手元がくるって,ピッチャーに入っていたビールをこぼしてしまい,それがその近くにいたT先生の袖にかかったことがありました.店員はお詫びの印ということで,こぼしたのとは別にピッチャーをもう1つ持ってきてくれたのですが,その時の先生の一言:「ビールがなくなったら,Tくんのもう片方の袖にかけてもらって,もう1杯ただでもらおうよ」.

私が知る限り,先生は決して酔っ払われることがなく,お酒が相当お強かったと思いますが,それでも,プラハに留学される前は全くの下戸で,学生時代は全然お酒が飲めなかったそうです.先生が飲めない人に対して無理強いをなさらなかったのはそういうところに理由があったのでしょう.

東京の神田に「ランチョン」というお店があり,私は神田の古本屋を回った後,そこでランチを食べるのを楽しみの1つにしていますが,そのお店は,ビールがおいしいことで有名で,先生もよくそのお店に出入りなさっていたということを,お亡くなりになってから知りました.そのことを知ってからは,「折角ランチョンに来て,ビールを飲まないなんて,バカだねぇ」とあの世からいわれそうで,最近はあまり行っていません(苦笑).
[PR]
by jjhhori | 2004-06-04 17:18 | 裏話
今週は,創立記念日にぶつかり,授業が1回飛んでしまいましたので,せめて「裏番組」には何か書いておこうということで,著者ネタ第2弾を.

著者を知る人は,著者を評して「毒舌家」といいます.とにかく,ダメなものはダメ,いいものはいいというのが実に明解で,授業中も著名な言語学者の名前を出しては,「**はバカだ」とはっきりとおっしゃっていました.多少先生の偏見が入っていたのかもしれませんが,しかし,いわれてみればなるほどと思うことがその後になっていろいろあり,先生のおっしゃっていたことはある意味真実だったと思います.それだけ,人を見る目は確かで厳しかったということです.

ゼミでは,ヨーロッパ系の言語をやっている人は,先生がそれらの言語に通じていることもあって,うかつなことをいうと厳しく突っ込まれていました.特に,英語を研究している学生に向かっては,「あーた,中学,高校と散々英語をやって,まだ英語やるの?もっと他に面白い言語があるんだから,それをやりゃいいのに,バカだねぇ」とよくおっしゃっていましたので,英語の学生の中には先生を嫌う者も少なからずいたようです.

しかし,「バカだ」とおっしゃっても,言われた学生も笑っていたので,罵倒などではなかったと思います.先生が心底「バカだ」と見做していたのは,一部の言語学者と同僚(笑)で,私もとある先生のことでご相談したら,先生はものすごく憤慨なさり,「あんなバカの世話にはなるな.私が面倒をみる」とかばってくださったことがあります.実際,学生や弟子に対して「バカだ」とおっしゃることは絶対になく,とても学生思いの先生でした.

先生が2度目に入院なさった時,友人とお見舞いに行くつもりでいたのですが,あいにく私はどうしても抜けられない会議があって,一緒に行けず,結局,その友人が1人でお見舞いに行きました.その時,先生は聴力を失っておられ,こちらの意思を伝えるには専ら筆談でしたが,お口の方は相変わらずお達者で,「アイツはバカだ」「今度出た本,あれはダメだねぇ」と連発されていたそうです.お見舞いから帰ってきた友人から先生のご様子を聞いて,「あぁ,まだお元気なんだな」と安心したのですが,そう思ったのも束の間,それからほどなくして,不帰の客となられました.あの毒舌がもう聞けなくなったのは本当に残念です.

と,まぁ,こんなことを書いていると,「アイツはバカだ」といわれかねないので,今日はこの辺にしておきましょう.
[PR]
by jjhhori | 2004-06-03 18:17 | 裏話
テキストの著者は,どんな人でしょうということで,よもやま話を少々.

お顔は,カバーに写真がありますので,お分かりですね.しかし,著者を知る私としては,この写真,ある意味,貴重です.というのも,スーツをお召しになっている.先生がスーツをお召しになっているのをみたのは,数えるほどしかなく,いつもカジュアルな服装でした.むしろ表紙の絵の方が私には馴染みが深く,研究室を訪ねると,大体こういう感じでお座りになって,下から見上げるように「それで,あーたねぇ」(註:「あーた」は「あなた」)とおっしゃるお姿がいまだに目に浮かびます.特に,チャペック兄弟協会が作った深緑のセーターの印象が強いですね.

表紙のイラストには,エミール・ガレの作品がいくつもあったり,チェコの作家との書簡があったり(チェコの文学作品の翻訳書も多く出されています),あるいは,「原稿は鉛筆でいつも書く」というあたりに,先生を知る人は思わずニヤッとしてしまうものですが,それを嘆息に変えてしまうのは,先生の蔵書の多さです.

カバーを外してみましょう.そうすると,「第2サティアン」というのが出てきます.要するに本だけの部屋.「第2サティアン」には,主にチェコ文学の本があり,更に,「第1サティアン」と「第3サティアン」というのがあって,「第1」には言語学とスラブ学関係があり,「第3」には構造主義,チェコ文学,スラブ語学関係から精選したものがあったそうです.勿論,これらは別宅で,ご自宅にも相当な量の本があったようです.先生がお亡くなりになって,それらの本の一部がいくつかの大学の図書館に寄贈されたそうですが,それらがどのように利用されているのか,私はよく知りません.

先生の蒐書ぶりは,半端ではなく,研究室(私のそれの2倍はありました)の本棚は本で溢れかえり,更に床にも本が平積みになっていて,ちょっとかばんがあたると,それらの本の山を崩してしまいそうでしたので,その本の山の間にできた谷を慎重に歩かなくてはなりませんでした.更には,研究室の外の廊下も,本が詰められた段ボールが何十箱と並んでいるほどでした.ちなみに,先生のお嫌いな質問の1つは,「これらの本を全部読んだんですか?」というもので,「こんなの全部読んだら,キチ*イになっちゃうよ」とおっしゃっていたものです.

先生がお書きになった古書蒐集のエッセイには,『プラハの古本屋』(大修館書店),『ビールと古本のプラハ』(白水社)があります.これはおすすめです.特に古本屋好きにはたまらない本です.尚,前者を読んだら,先生の師匠であられる徳永康元先生の『ブダペストの古本屋』(恒文社,絶版)を一読することをお薦めします.これもたまらん1冊です(笑).

ちなみに,言語学の人には古本屋好きが多いようで,古本屋めぐりが嫌いなのは,言語学をやってはいけません(笑).私も国内外を問わず,旅先でまずどこに行くかといえば,古本屋です.おかげで観光名所をいくつ見逃したことか・・・.

こんなことを書いていたら,久々に古本屋めぐりをしたくなってきたではないか.静岡で堪能できないのが残念です.
[PR]
by jjhhori | 2004-05-21 18:43 | 裏話

裏話1:服部四郎先生

テキストで紹介されていた服部四郎著『音声学』(岩波書店)は,まさに,日本における音声学のレベルを一気に引き上げた名著といえます.書かれたのが50年以上前ですから,確かに古い部分もありますが,1つ1つの音の観察方法と記述の精確さは,他に類をみない大きな価値があります.勿論,この本からいきなり読み始めることはお薦めしませんが,言語学を本格的にやろうと思う人は,必ず手に取って熟読すべき本で,一読ではなく,再読三読すればその内容が十分理解できると思います.

かくいう私は,言語学をやるには音声学が必要であろうという漠然とした気持ちから,学部の2年生の時に,この本を古本屋で買い求めて,読み始めました.当然,1回読んだだけではさっぱり分からず,2回3回と繰り返して読んでみましたが,それでも十分に理解できたとはいえるものではありませんでした.

この本の内容が少しでも理解できたと思えるようになった一番大きなきっかけは,著者の服部四郎先生の「一般音声学」の授業でしょう.新宿にある東京言語研究所というところが毎年「理論言語学講座」を開催しており,私は,学部の3年生の時に,服部先生ご担当の「一般音声学」を受講しました(今いうところの「ダブルスクール」みたいなものです.いや,ちょっと違うか).受講するための要件は,大学教養部程度ということでしたが,受講の可否を決めるための面接がありました.誰がその面接をやるのか知らないまま面接会場にいくと,その面接を先生自らおやりになるというのを知らされ,相当緊張しましたが,在籍する大学名とテキストを持っているかどうかをお聞きになった程度で,すぐ受講許可をいただき,とても嬉しかった記憶があります.

服部先生の「一般音声学」は,まさに厳密を極めたもので,受講生(4, 50人程度はいました)1人1人に発音をさせ,「舌が前だ,後ろだ,上だ,下だ」ととても細かくご指導なさっていました.当時すでに80歳を越えていらっしゃいましたが,耳はとても確かで,実に細かく発音を観察なさるお姿にとても驚きました.それだけ厳しい授業でしたので,脱落者も続出し,最終的には2, 30人程度までに減ってしまいました.

1年目の授業は専ら母音(!),2年目になって子音のうちの破裂音だけ(!),3年目でも結局子音は全部終わりませんでした.私は,3年目を最後にして,東京を離れてしまいましたので,その後どこまで進んだか分かりませんが,確かその後も2年ばかり続けられたものと思います.

服部先生曰く.「音声学ができないのは,耳がいいとか悪いの問題ではなく,要するに頭が悪いからだ」.すなわち,自分の習慣や癖に凝り固まっている人は,いくらやってもダメということなんですね.

尚,『音声学』(カセットテープ付)は,私が学生の頃は新刊本として,確か定価5900円(当時は消費税なし)で売られていました(私は,古書店で定価の2割引きぐらいで買ったと思います)が,すでに絶版となってしまい,古書店でたまに2万円近い値段で売られていることがあります(それでも最近は見かけなくなりましたね).こういう専門書は,「ある時に買う」,これが鉄則です.
[PR]
by jjhhori | 2004-05-14 11:49 | 裏話