授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など


by jjhhori

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社会言語学

社会言語学というのは,一見,とても面白そうに感じるのですが,実は,とても難しい分野です.一方では言語,他方では社会という,それぞれ混沌とした異質のものの間に相関関係を見出そうというわけですから,かなりの程度の困難を強いられるのは,当然といえば当然です.勿論,両者の間に相関関係があることは確実ですが,しかし,そのことを証明するために,言語がない社会を想定することが現実的には不可能ですので,決定的な証拠が得られないという弱点があるのも事実です.

そうはいっても,言語と社会の間に相関関係を想定することが全く不可能というわけではありません.とりわけ,ある話者が複数の言語を使い分けているような場合は,その使い分けの要因が社会にあることを実証するのは比較的容易です.いわゆるコード・スィッチングやピジン・クレオールの問題は,社会言語学が最も得意とする領域であるといえるでしょう(ピジン・クレオールの問題に関しては,テキストを参照してください).

それ以外にも,単一言語社会における話者間の様々な差異(地域差,年代差,階級差,職業による違いなど)も,その要因がはっきりとしている点において,やはり社会言語学的な処理が簡単にできるといえるでしょう.とりわけ,単なる語彙の使用における差異だけでなく,音声面や文法面において差異が現われる場合は,社会言語学的に興味ある問題を提供します.しかし,要因がはっきりしないそれ以外の場合となってくると,社会言語学は,まだ十分な理論的あるいは方法論的基盤をもっておらず,それゆえに,説得力のある根拠を見出すことが難しくなってきます.研究対象をラングだけでなく,パロールも含めようとするのが社会言語学の目的であるとするならば,パロールをどのように捉えるかがいまだ十分な理論的基盤をもっていないところに,社会言語学が蔵する自己矛盾があるといってもいいでしょう.その点において,社会言語学が方法論を開発することに懐疑的であるという著者の考えはもっともであると私は思います.

そうした行き詰まりからか,昨今では,「**語には,これこれの単語がある.ゆえに,この社会は**社会だ」といったような研究が横行していますが,これは,その話者の言語に対する無意識性と,言語が歴史的所産であることを全く無視した暴論であるといわざるを得ません.それは学問の領域ではない話であり,いくら真剣に検討したところで,科学としての言語学がそれに対して有効な措置を講じることはあり得ません.こういうことを真剣になって議論しようとする一部の「社会言語学者」は,具体的な言語の観察と記述を疎かにしているように私には思えます.たとえ社会言語学をやるにしても,基本は,具体的な言語の観察と記述であり,そのような基盤がないまま,社会言語学をやっても所詮素人の域を脱し得ません.早い話がフィールドワークを基礎としていない社会言語学というのはあり得ず,社会学がフィールドワークに基づいてデータを蒐集していることを考えれば,それを補助科学とする社会言語学がフィールドワークを必要とするのは当然のことです.昨今の社会言語学には,データの性質や扱いに関して,疑問を感じさせるものがとても多く,データの蒐集の仕方が杜撰な点は否めません.これは,データを重んずる社会言語学にとっては致命的なことです.

社会言語学に関して,信頼がおけ,かつ,方法論的基盤がしっかりした本となると,皆無に近いのですが,そういう状況の中にあって,以下の本は,豊富な用例とともに具体的な分析方法が示されると同時に,社会言語学の限界にも触れている点で,おすすめできると思います(しかし,一部,首を傾げたくなるような章もあり).

ロメイン,スザーン/土田滋・高橋留美(訳)『社会のなかの言語:現代社会言語学入門』(三省堂,1997年)
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by jjhhori | 2004-05-21 23:20 | テキスト
テキストの著者は,どんな人でしょうということで,よもやま話を少々.

お顔は,カバーに写真がありますので,お分かりですね.しかし,著者を知る私としては,この写真,ある意味,貴重です.というのも,スーツをお召しになっている.先生がスーツをお召しになっているのをみたのは,数えるほどしかなく,いつもカジュアルな服装でした.むしろ表紙の絵の方が私には馴染みが深く,研究室を訪ねると,大体こういう感じでお座りになって,下から見上げるように「それで,あーたねぇ」(註:「あーた」は「あなた」)とおっしゃるお姿がいまだに目に浮かびます.特に,チャペック兄弟協会が作った深緑のセーターの印象が強いですね.

表紙のイラストには,エミール・ガレの作品がいくつもあったり,チェコの作家との書簡があったり(チェコの文学作品の翻訳書も多く出されています),あるいは,「原稿は鉛筆でいつも書く」というあたりに,先生を知る人は思わずニヤッとしてしまうものですが,それを嘆息に変えてしまうのは,先生の蔵書の多さです.

カバーを外してみましょう.そうすると,「第2サティアン」というのが出てきます.要するに本だけの部屋.「第2サティアン」には,主にチェコ文学の本があり,更に,「第1サティアン」と「第3サティアン」というのがあって,「第1」には言語学とスラブ学関係があり,「第3」には構造主義,チェコ文学,スラブ語学関係から精選したものがあったそうです.勿論,これらは別宅で,ご自宅にも相当な量の本があったようです.先生がお亡くなりになって,それらの本の一部がいくつかの大学の図書館に寄贈されたそうですが,それらがどのように利用されているのか,私はよく知りません.

先生の蒐書ぶりは,半端ではなく,研究室(私のそれの2倍はありました)の本棚は本で溢れかえり,更に床にも本が平積みになっていて,ちょっとかばんがあたると,それらの本の山を崩してしまいそうでしたので,その本の山の間にできた谷を慎重に歩かなくてはなりませんでした.更には,研究室の外の廊下も,本が詰められた段ボールが何十箱と並んでいるほどでした.ちなみに,先生のお嫌いな質問の1つは,「これらの本を全部読んだんですか?」というもので,「こんなの全部読んだら,キチ*イになっちゃうよ」とおっしゃっていたものです.

先生がお書きになった古書蒐集のエッセイには,『プラハの古本屋』(大修館書店),『ビールと古本のプラハ』(白水社)があります.これはおすすめです.特に古本屋好きにはたまらない本です.尚,前者を読んだら,先生の師匠であられる徳永康元先生の『ブダペストの古本屋』(恒文社,絶版)を一読することをお薦めします.これもたまらん1冊です(笑).

ちなみに,言語学の人には古本屋好きが多いようで,古本屋めぐりが嫌いなのは,言語学をやってはいけません(笑).私も国内外を問わず,旅先でまずどこに行くかといえば,古本屋です.おかげで観光名所をいくつ見逃したことか・・・.

こんなことを書いていたら,久々に古本屋めぐりをしたくなってきたではないか.静岡で堪能できないのが残念です.
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by jjhhori | 2004-05-21 18:43 | 裏話

比較言語学

比較言語学は,印欧語比較言語学に限っていうならば,広くて深い世界です.「広い」というのは,研究するにあたって,英独仏露はいうに及ばず,ラテン語,ギリシア語,サンスクリット語,(更には最近研究がすすんでいる)ヒッタイト語といった古典語を修めなくてはならないということであり,「深い」というのは,19世紀から綿々と続いている研究をしっかりおさえなくてはいけないということです.そもそも研究書が読める程度になるまでの外国語を1つ習得することですら大変なのに,それを4つも5つも要求されるわけですから,まっとうに印欧語比較言語学をやろうというのは,まさに畢生の大業だと思います.

そもそも,言語学に限らず,どの学問分野に関しても,その学史,つまり,学問の歴史は知っておかなくてはなりません.今問題になっていることの背景には,やはり歴史的な流れがあるからです.言語学に限っていえば,言語学を志す人は当然言語学史をおさえておくべきで,その知識なしで,現在流行っていることをやっても意味は全くありません.そして,言語学の場合,その学史をおさえる上で重要なのが印欧語比較言語学です.従って,印欧語比較言語学の広くて深い世界にもぐりこまずとも,どのような研究がなされ,その時代背景はどうであったかぐらいはしっかり理解しておかなくてはなりません.

確かに印欧語比較言語学は,「敷居の高い」分野ですが,それを分かりやすく説いている入門書として,テキストにあげられている本に加えて,次の1冊をあげておきます.

高津春繁『比較言語学入門』(岩波文庫,1992年)

これは,もともと『比較言語学』という題で1950年に岩波全書の1つとして出されたものを,旧字体を新字体に,横組を縦組に改めたものです.文庫本だと,新字体だけれども縦組(いろいろな語例が出てくると読みにくい)という点が,一方,旧版だと,横組で読みやすいけれど旧字体という点がそれぞれ難点ですが,そのどちらを優先するかは,自分次第です.それはさておき,この本は,内容がとても明快で,まさに「入門」というに相応しいものです(ちなみに,私が学部生の頃は,文庫本がありませんでしたので,古書店で手に入れた旧版を読みました).

授業の時にほんの少し触れましたが,印欧語を話す民族がもともとどこに住み,どのような社会制度や文化習慣をもっていたかを探る方法を紹介したものとして,

風間喜代三『印欧語の故郷を探る』(岩波新書,1993年)

をあげておきます.これは,テキストの中で紹介されていた同じ著者による『言語学の誕生-比較言語学小史-』(岩波新書,1978年)の印欧語の先史研究に関する部分を補ったものといえます.

日本語の系統に関しては,

服部四郎『日本語の系統』(岩波文庫,1999年)

があります.1959年に出版された同名の本がもとになっていますが,特に,厳密な手法をもって琉球語との音韻対応を記述しているあたりは,今なお熟読する価値があります.しかし,文庫だからといって,電車の中で読み通せるようなものではなく,岩波書店もよくこんな難しい本を文庫にしたものだと思います(笑).

印欧語以外の比較言語学の入門書で,しかも日本語で読めるものというのは,残念ながらなさそうです(そんなのがあれば,私もほしい.笑).あえてあげるとすれば,漢字という直接的に音声を表わさない文字を用いている中国語の古い形を再構する方法を説いた,

平山久雄「中古漢語の音韻」,牛島徳次・香坂順一・藤堂明保(編)『中国文化叢書1:言語』(大修館書店,1967年)所収.

をすすめます.表音文字を使っている印欧語は,音=文字の関係があるという点で,直接的に音韻対応を探るのが容易だったわけですが,中国語はそのような状況に恵まれていませんので,そこにまず大きな障害があるといえます.この平山論文は,その障害をどのように克服し,隋の時代の中国語の音韻をどのように再構するかを説いたものです.但し,初級者向けとはありますが,内容はかなり高度です.

こんなようなところで,比較言語学の世界に少しはまってみては如何でしょうか.但し,抜け出せなくなっても知りません(笑).
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by jjhhori | 2004-05-18 17:53 | テキスト

裏話1:服部四郎先生

テキストで紹介されていた服部四郎著『音声学』(岩波書店)は,まさに,日本における音声学のレベルを一気に引き上げた名著といえます.書かれたのが50年以上前ですから,確かに古い部分もありますが,1つ1つの音の観察方法と記述の精確さは,他に類をみない大きな価値があります.勿論,この本からいきなり読み始めることはお薦めしませんが,言語学を本格的にやろうと思う人は,必ず手に取って熟読すべき本で,一読ではなく,再読三読すればその内容が十分理解できると思います.

かくいう私は,言語学をやるには音声学が必要であろうという漠然とした気持ちから,学部の2年生の時に,この本を古本屋で買い求めて,読み始めました.当然,1回読んだだけではさっぱり分からず,2回3回と繰り返して読んでみましたが,それでも十分に理解できたとはいえるものではありませんでした.

この本の内容が少しでも理解できたと思えるようになった一番大きなきっかけは,著者の服部四郎先生の「一般音声学」の授業でしょう.新宿にある東京言語研究所というところが毎年「理論言語学講座」を開催しており,私は,学部の3年生の時に,服部先生ご担当の「一般音声学」を受講しました(今いうところの「ダブルスクール」みたいなものです.いや,ちょっと違うか).受講するための要件は,大学教養部程度ということでしたが,受講の可否を決めるための面接がありました.誰がその面接をやるのか知らないまま面接会場にいくと,その面接を先生自らおやりになるというのを知らされ,相当緊張しましたが,在籍する大学名とテキストを持っているかどうかをお聞きになった程度で,すぐ受講許可をいただき,とても嬉しかった記憶があります.

服部先生の「一般音声学」は,まさに厳密を極めたもので,受講生(4, 50人程度はいました)1人1人に発音をさせ,「舌が前だ,後ろだ,上だ,下だ」ととても細かくご指導なさっていました.当時すでに80歳を越えていらっしゃいましたが,耳はとても確かで,実に細かく発音を観察なさるお姿にとても驚きました.それだけ厳しい授業でしたので,脱落者も続出し,最終的には2, 30人程度までに減ってしまいました.

1年目の授業は専ら母音(!),2年目になって子音のうちの破裂音だけ(!),3年目でも結局子音は全部終わりませんでした.私は,3年目を最後にして,東京を離れてしまいましたので,その後どこまで進んだか分かりませんが,確かその後も2年ばかり続けられたものと思います.

服部先生曰く.「音声学ができないのは,耳がいいとか悪いの問題ではなく,要するに頭が悪いからだ」.すなわち,自分の習慣や癖に凝り固まっている人は,いくらやってもダメということなんですね.

尚,『音声学』(カセットテープ付)は,私が学生の頃は新刊本として,確か定価5900円(当時は消費税なし)で売られていました(私は,古書店で定価の2割引きぐらいで買ったと思います)が,すでに絶版となってしまい,古書店でたまに2万円近い値段で売られていることがあります(それでも最近は見かけなくなりましたね).こういう専門書は,「ある時に買う」,これが鉄則です.
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by jjhhori | 2004-05-14 11:49 | 裏話

音声学

冒頭に「言語の研究者がプロであるか,アマであるかのメルクマールが音声学の知識である」とありますが,これはまさにその通りです.音声学を習得せずして言語学をやろうというのは,図面の見方を知らずして大工さんになろうというのに等しいことです.

勿論,音声学は言語学徒だけでなく,言語教育に携わる人たち(日本語教育,国語教育,英語教育,その他外国語教育),言語療法士,果ては俳優を志す人にとっても必須の学科です.それ以外の人であっても,例えば,新しい外国語を勉強する際に,音声学の知識があれば,「ウをいいながらイといえ」などと訳の分からない説明にも,「あー,[y]の音か」と,たちどころに目ざすべき発音が分かるという利点があります.ちなみに,「音」は,言語学では「おん」と読み,「オト」とは区別します(細かいようですが,「おん」と読むか,「おと」と読むかで,その人がちゃんと言語学を勉強したかどうかがすぐにばれてしまいます).

音声学の入門書で,しかも良書となると,実に限られていて,テキストにあげられているものぐらいしか,私も思い浮かびません(残念ながら).最近では,音響工学,情報工学,医学などの助けをかりて,音声学がかなりの進歩を示しているのに,従来の知識を踏まえて,その最新の成果を盛り込んだ入門書がないのは不思議です.

そんな中でもあえて以下の2点を付け加えておきますので,興味がある人は手にとってみてください(いずれも入手可).

中川裕「フィールドワークのための音声学」,宮岡伯人編『言語人類学を学ぶ人のために』(1996年,世界思想社).

これは,フィールドワークの現場における音声観察の方法を平易に説いたものです.筆者の中川先生は,アフリカのコイサン諸語の記述研究に携わり,如何なる言語音も聞き分け,発音し分けるという伝説をもった,とても優れた音声学者です(勿論,ご存命です.念のため).そこにあげられている参考文献から更に音声学の世界へといくのもいいでしょう.尚,その本に収められている他の章も優れたものばかりで,似たようなタイトルの某書とは格段に違います(笑).

授業で,国際音声学協会所定の国際音声字母について簡単に説明しましたが,その際,これらの記号を使って,世界中のありとあらゆる言語音が記述できるわけではないといいました.そのため,国際音声字母で表記し得ない音を表わすために,国際音声字母以外の様々な記号を用いることがあります.また,いろいろな言語の記述を読んでいると,国際音声字母とは違った記号の使い方に出くわすことがあります.そういった様々な音声記号や,異なった用法を一覧にして示したのが,

プラム,ジェフリー・K/ラデュサー,ウィリアム・A,土田滋・福井玲・中川裕(訳)『世界音声記号辞典』(2003年,三省堂).

です.「へぇー,こんな記号(発音)があるんかい」という驚きを与える本であると同時に,「この音を表わすにはどんな記号を用いるんだべ」と思った時に役に立つ本です.音声学マニアにはたまらん1冊です.

それから,英語で書かれた良書を最後に1冊だけあげておきます.

Catford, John C. 2001. A practical introduction to phonetics (second edition). Oxford University Press.

これは,そのタイトル通りに,1つ1つの音が実際に自分で発音できるようになるための訓練の仕方を説いたものです.勿論,この本は,日本語で書かれた入門書を読んで,十分な知識を蓄えてから読むべきであって,これから入るのは,喩えていえば,スキーの初歩もできていない人がいきなりジャンプ台に行くようなものです(笑).

まずは,身の回りの人たちの発音を観察し,それが自分とどう違うかを考えてみましょう.
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by jjhhori | 2004-05-12 10:55 | テキスト

よい発表とは?<2>

どうも書き出すと,ダラダラしていけません.サクサクいきましょう.

レジュメの次は,発表の仕方ですが,これまでの経験から,人をイライラさせる発表とはどういうものかについて述べましょう.

1.レジュメのどこの説明をしているのか分からない.
これはレジュメの作り方が悪いこともあるのですが,重要と思われる情報をレジュメに書かず,滔々と口で説明するような人がいます.こうされると,聞く側は段々不安になってきます.聞く側は,レジュメを目で追うという作業と,発表者の説明を耳で聞くという作業を同時に行なわなくてはならないわけで,それら2つの作業の負担を軽減させるように,レジュメの作成や口頭での説明に工夫をしなくてはなりません.特にレジュメに書いていなくてテキストに書いてあることを参照する場合は,「どこそこをみろ」と適宜指示を出すようにしましょう.これができれば,聞き手も「この人,分かっているな」と思うものです(たぶん).

2.レジュメに書いてあることを読むだけ.
いっそのこと予めテープレコーダに録音しておいて,それを流せといいたくなるような発表.これも不可.こういう発表は,聞いている方にとって全然面白くありません.

3.声が一本調子.
これもきついです.発表原稿を作るのはいいのですが,それを読むのにあくせくしてしまって,早口で,しかも,一本調子で読み上げられると,聞き手は完全に置いていかれた気分になります.重要なところはゆっくり,そうでないところは聞き取れる程度に少し早くと,緩急織り交ぜながらやるといいと思います.まぁ,人前で発表するというのは緊張しますからねぇ,あまり厳しくいえません.でも,社会に出たら,「緊張してダメでした」なんていう甘えは通用しませんからね,今のうちにしっかり訓練しましょう.

発表にあたっては,必要であれば,黒板を使うなどして,なるべく聞き手に催眠術をかけない工夫をしてください.まぁ,私自身,念仏を唱えるような授業をしているので,人のことをいえたものではありませんが(苦笑).

勿論,他の授業ではまた違った目的の発表を求められることがありますし,ここに書いたこと以外にも工夫する点はいくらでもあります.どうか自分なりに工夫して発表に臨んでください.

いろいろゴチャゴチャ書きましたが,人前で話すのが苦手という人,不安に思わなくて大丈夫.評価の対象となるのは,どれぐらいレジュメに工夫を凝らしているか,どの程度内容を理解しているかの2点です.それから,レジュメの原稿を約束通りに提出しているかどうか,これも結構重要です.

とりあえず,こういったことを念頭において,前期を乗り切りましょう.授業を大いに盛り上げてください.楽しみにしています.
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by jjhhori | 2004-05-08 00:01 | 授業

よい発表とは?<1>

この授業では,学生による発表が中心となります.要するに,発表の善し悪しによって,授業の善し悪しが決まるといってもいいかもしれません(勿論,議論が盛り上がるように教員が努力することが必要なのはいうまでもありません).

では,よい発表とはどういうものでしょうか?

まず,第一にレジュメが工夫されていることが重要です.レジュメも授業によってその作り方が違ってくるわけですが,この授業の場合,レジュメに要求されるのは,テキストの内容のまとめと補足的な内容の追加の2つです.以下,そのそれぞれについてどういうことが重要なのかを述べましょう.

まず,テキストの内容をまとめるにあたり,前提となっているのは,その授業に出ている全員がテキストの該当個所を読んでいることです(読んでいなければ,授業に出ても全く意味はありません).つまり,レジュメでは,テキストの内容を逐一細かくまとめなくても,その筋道が分かるように,見出しをつけたり,要点を箇条書きにしたりしてまとめればいいわけです.端的にいえば,あとで本文を読まなくても,どういう内容だったかが分かる程度にまとめるということです.概して,テキストの文章をそのまま抜き出してダラダラ書いているような,全く工夫のみられないレジュメは,減点の対象となります.単なる要約ではないことに注意してください.

次に,補足的な内容の追加というのは,いわば自分の発表のウリとなるものです.テキストをまとめるぐらいなら,中学生でもできます.この授業で求められているのは,テキスト以外に自分で調べてきた内容を発表することです.

この場合,補足内容に関しては,他の学生は読んでいないわけですから,テキストの内容をまとめる場合と異なり,それなりに詳しいレジュメが必要となってきます.勿論,文章をそのまま抜き出してきただけのまとめ方は減点対象となります.ましてや,インターネットで調べてきた内容を無造作に貼り付けるというのは,大学生がやることではありません.その文献の当該箇所をしっかり読んで,内容を把握した上で,必要な情報が分かりやすく相手に伝わるように,例えば,箇条書きにしたり,適宜見出しをつけたり,文字の種類をかえたりなど,いろいろ工夫しなくてはなりません.どうすれば,それを見る人に分かってもらえるか,そういったことを想像しながら,是非ともレジュメを作ってほしいと思います.要するに,「気の利いたレジュメを作る」ということですね.

この続きは,「よい発表とは?<2>」で述べます.
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by jjhhori | 2004-05-07 23:29 | 授業