授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など


by jjhhori

<   2005年 03月 ( 1 )   > この月の画像一覧

久々の更新です.ヒマがあれば,少しでも更新しようと思ってはいたのですが,ヒマがないのと,ネタもなかったので,しばらく放ったらかしにしてしまいました.いまさら更新しても,まぁ,見る人はいないんでしょうけどねぇ.授業が終わったものの,特にヒマというわけではないのですが,今回は,池上二良著『北方言語叢考』なる書を少しご紹介しようと思い立ちました.

さて,この本の著者の池上先生は,1920年長野生まれ,東京帝国大学文学部言語学科をご卒業,群馬大学助教授を経て,北海道大学文学部言語学講座の主任教授として,長年,ツングース諸語を中心としたアルタイ諸言語,アイヌ語,ギリヤーク語などの記述研究に携わってこられた方です.特にツングース語研究に対するご功績が認められ,先年,国際アルタイ会議メダル(Permanent International Altaic Conference Medal)が授与されました.このメダルは,世界的に認められたアルタイ学者に授与されるもので,日本では,服部四郎,村山七郎などまだごくわずかの方々しか受章していないそうです.

池上先生のご研究の特徴は,まず,フィールド重視であること,そして,厳密でかつ慎重である点があげられると思います.先生は,現在,80歳を過ぎていらっしゃいますが,数年前まで,ロシアや中国にたびたび調査にいらっしゃっていました.時折,「**語の*という音を実際に耳で確かめてみたい」とおっしゃっていたほど,実地調査に対し相当な執念をお持ちでした.考えてみれば,80歳ぐらいのご老人がロシアや中国の,しかも,環境条件の厳しいところに,単なる観光ではなく,調査研究にいらっしゃるわけですから,それだけでも驚きといわざるを得ません.

今回ご紹介する一書は,池上先生がこれまでご発表になったご論考や随筆を一つにまとめたもので,その内容は,北方諸言語一般に関するもの,各論として,アルタイ諸言語,アイヌ語,そして,日本語を扱ったものに大きく分けられます.

それらの各篇を読んで得られる読後感をいうならば,「こういうことが明らかになった/分かった」というすっきりとしたものではなく,何となく漠としたものだということを予め断っておかなくてはなりません.それは,著者が性急に結論を出すのではなく,あくまでも慎重に,また,厳密に様々な言語事象の記述を積み重ねることに徹しているからだと思います.「言語というものはこうだ」とか「**だから,**だ」と断定した口調で述べている本や論文がよくみられますが,そういったものは,よほどの自信家か,言語の怖さを知らない「偽者」かのどちらかでしょう.著者の慎重な姿勢は,安易な一般化を戒めるものであり,私などは,そこに「本物」を感じます.

著者の厳密な姿勢は,実際の調査でも同様だそうです.池上先生の調査に同行したある人の話によると,音声観察に曖昧なところがある場合には,「もう1回!もう1回!」と何度も話者に発音を繰り返してもらい,そして,それでも不確かな場合は,次の日にもう一度同じ単語を聞いて発音を確認するそうです.優れた音声学的観察能力と長年の経験がおありであっても,決して妥協を許さないということなのでしょう(妥協の産物程度の観察しかできない私は,大いに学ぶべきところです).従って,ご論考の一字一句にはそれだけの重みがあるといえます.

私自身は,池上先生に直接教わったことはありませんが,大学院にいた頃は,先生が風呂敷包みをお持ちになって,言語学研究室によくいらっしゃるのをお見かけしたことがありましたし,その後,研究会でも何度かお目にかかり,先生のご発表を伺ったり,私の発表に対してコメントを下さったりしたことがあります.直接ご指導を受けられた方は,とても厳しく怖い先生と評していますが,朴訥とした口調でお話になるお姿からは,そういう感じを受けたことはありませんでした.ただ,先生の前で迂闊なことはいえないという厳しさは常に感じます.

池上先生のご講義は,基本的に,口述筆記,すなわち,先生が講義ノートを読み上げられ,それを学生が書き取っていくというスタイルだったそうです.今では,こういう講義をする人はいないと思いますが,例えば,<裏話1>でご紹介した服部四郎先生も同じスタイルの講義をなさっていました.池上先生は,服部先生のお弟子ですので,そのスタイルを踏襲されたのでしょうが,池上先生が学生だった頃は,そのような講義が一般的だったのではないかと思います.今,こういう授業をやったら,授業アンケートで何を書かれるか分かったものではありません(苦笑).

今回,私がこの本を取り上げたのは,皆さんに「本物」に触れていただきたいと思ったからです.「本物」は,確かにとっつきにくいと思います.しかし,その行間には,言語の具体と格闘されてきた著者の長年のご経験とご労苦を感じ取ることができ,それこそまさに「本物」のかもし出す独特の香りではないかと思います.

本の情報:池上二良『北方言語叢考』(北海道大学図書刊行会,2004年)
[PR]
by jjhhori | 2005-03-04 17:53 | 紹介