授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など


by jjhhori

<   2006年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

今回のテキストは,著者が近しい人ですので,あれやこれや書くと,「ちょっと!アンタっ!何書いてんのっ!」というお叱りがくるかもしれないことを考え,当たり障りのない話を書くことにします(この授業の受講生以外でも結構みている人がいるらしい・・・).

「フィールドワークをしている」などというと,必ずといっていいほど「寝泊りはどうしているんですか?」という質問をされます.人間にとって必要な衣食住のうち,食と住はどうするのかというもっともな疑問です.そういった質問に対し,「普通のお宅にホームステイしています」というと,聞いた相手は,何となくがっかりしたような表情をみせるものです.「いやいや,熊にビクビクしながらのテント生活で,熊と争いながら一命を賭して川で鮭をとっていますよぉ」という,サバイバルゲームを連想させるような答えを期待している人が多いのでしょうね(私の思い過ごしかもしれませんが).

まぁ,でも考えてもみてください.私が行っているのは,カナダのブリティッシュ・コロンビア州の北西海岸にあるクィーン・シャーロット諸島(「ハイダ島」とも)というところで,カナダといえば,いわゆるG7の一つです.島であっても,電気・水道が通じているところで,特にこれといった不自由を感じることはなく,また,熊と格闘しているわけでもありません(実際,熊はいますが).

私が滞在しているのは,70代後半のハイダ族のおばあさんのご家庭.普段は,そのおばあさんとトイプードルと一緒に一夏を過ごしています.そのおばあさんには,私の仕事のお手伝いをお願いしているのですが,それがとても楽しいらしく,私がいる間は,朝からハイダ,昼もハイダ,夜も寝るまでハイダで,一緒にやっている私の方がくたばりそうな感じです.まぁ,とにかくお元気,決してじっとしていません.

『滅びゆくことばを追って』では,著者が滞在中のモーテルに話者を連れてきて調査を行なっていましたが,私の場合は,自宅(というより,そのおばあさんのお宅)か,あるいは,村に住んでいる別の話者のお宅に行って,調査をしています.いわば「通い型」です.ホテルかどこかに滞在するというのは,自分のプライバシーが完全に保護されて,仕事に没頭できるという点でとても魅力的です.しかし,観光地でもある島には私が泊まれるほど手ごろな値段のホテルがありませんし,ホテルのあるところと話者の方たちが住んでいるところが離れていますので,この「お招き型」は,私の場合,ほとんど不可能です(それよりも何よりも,ホテルに泊まると,食事のことを考えなくてはならないという難点があります).

勿論,人の家に1ヶ月以上滞在するわけですから,それなりの気疲れというものがあります.例えば,突然のお客さんが来たためにその日の予定がすべてパーになったなんてこともしょっちゅうあります.また,調査に通っているお宅に,夏休みで帰省している孫たちがいたりすると,お年寄りの目は,完全に孫に釘付け,調査の方は,気もそぞろ,もう知ったこっちゃないという感じになります.ある時など,折角とった録音資料も子供の「ギョェエエエエー!」と泣き叫ぶ声とそれを叱り付ける親の声にかき消されて,肝心の部分が全く録音されていなかったなんてこともありました(涙).まぁ,子供がいたら,その日は,ダメだという覚悟をする必要があるわけです.

まぁ,こういったことはありますが,普通の家庭に滞在したり,調査のために訪れたりすることによって,知り合いも増えますし,また,家族のように扱っていただけるのは本当にありがたいことです.実際,今お世話になっているお宅に着いてその見慣れた風景をみると,「あぁ,帰ってきたなぁ」という一種の安堵感すら覚えます.まぁ,そうした気分を味わいたくて,何度も同じところに行っているのかもしれません.フィールドワークをすることによって,自分の帰省する先がもう一つ増えた,何となくそんな感じがします.
[PR]
by jjhhori | 2006-05-25 10:03 | 裏話
今週は,授業をお休みにしてしまいましたので,せめてこの裏番組だけでもひとつネタを.

さて,タイトルをみると,私が何か楽器を演奏させろと騒いでいるように思われるかもしれませんが,そうではありません(笑).今やっているNHKの朝の連続ドラマの話です.

先週でしたか,主人公が東京音楽学校を受験する時,手首を怪我して,ピアノが思うように弾けず,そこで試験官に発したのが上のセリフ,つまり,「もう一度,弾かさせてください!」というセリフです.

ここで問題となるのは,「弾かさせる」という動詞の部分です.「弾く」に使役の「させる」が付いたものですが,「させる」が付くのは,一段動詞・カ変動詞であり,五段動詞の「弾く」には,「させる」ではなく「せる」が付いて,「弾かせる」となるところです.要するに,「さ」が余分に入り込んでいるわけです.

こうした現象は,井上史雄『日本語は年速一キロで動く』(講談社新書,2003年)によると,「サ入れことば/サ付きことば」といわれるもので,1980年代末から1990年代にかけて刊行された『方言文法全国地図』(国立国語研究所)では,「書かせる」に対して「カカセル」という形式が静岡市付近に現われているそうです.さすが日本語の最先端の地,静岡です(笑).

このドラマの主人公は,愛知県岡崎市出身の設定で,時代は,戦前の昭和のようです.ドラマの中では,三河地方の方言が使われていますから,この「サ入れことば」も岡崎の方言を意識して使ったのでしょうか.それとも単に「口が滑った」のでしょうか.と,私がこんなことを気にしている間に,主人公は,音楽学校の試験に滑ってしまいましたね.ちなみに,青森出身の画家が出てきますが,あの役の俳優は,青森の方言のまねをしているものの,東北出身者ではないでしょう.発音を聞けば,すぐに分かります.

この「サ入れことば」は,二種類ある使役の形式(「セル」と「サセル」)を「サセル」一本にするという単純化への流れのひとつであるといえます.これは,ちょうど,いわゆる「ラぬき言葉」が二種類ある可能の形式(「レル」と「ラレル」)を一本にするのと並行した現象とも考えられます(参考:前出の『日本語は年速・・・』).同じ機能をもつ形式を動詞の活用によって使い分けるというある種の「無駄」を省こうというわけですね.ただ,「ラぬき」は短い形式を生み出しますが,「サ入れ」の方は,長い形式となる点で,若干違うともいえます.

これと関連して,最近やたらと目(と耳)に入る表現として,「~させていただく」というのがあります.例えば,「私の方からご説明させていただきます」のように,人によっては,これを連発することもありますね.単に「ご説明いたします」でいいと思うのですが,それだと,どうも素っ気なく,丁寧度に欠けると感じるのでしょうか.元は,関西の「~させてもらう」で,それが丁寧表現となって全国的に使われるようになったと思いますが,関西の「~させてもらう」は,その使い方において,必ずしも「~させていただきます」とは同じではないように感じます.

この「~させていただく」については,いろいろと言いたいことがあるのですが,長くなりますので,この辺で終わらせていただきます(笑).
[PR]
by jjhhori | 2006-05-18 10:51 | ことば
私がこの本を読んだのは大学2年の時.「言語学概論」で,担当の先生(この「裏番組」に何度も出ています)が最初の授業で紹介された2冊の本のうちの一冊がこれで(あとの一冊はいずれ出てきます),その先生は「この本を読んでつまらないと思ったら,この授業に出ちゃダメです」とまでおっしゃっていました(ちなみに,私が受けた「言語学概論」は選択科目でした).そこまでおっしゃるならと思い,従順だった,否,従順である私は,早速書店に行って,この本を買い,パラパラと読み始めたが最後,その日のほとんどをこの本に使ってしまいました.

特に,授業で取り上げた「ネズパース語研究一日目」を読んだ時の感動というのは,いまだによく覚えています.数詞の1から10までを聞いただけで,たちどころに次から次へと様々な問題に考えをめぐらす,その直観に驚嘆しました.そして,「あー,これが言語学というものか」と思うと同時に,「自分もやってみたいなぁ」などと漠然と思ったものでした.文字がなく,しかも,あまり研究のされていない言語を自分の力で解き明かしていく,その過程が実に魅力的に思えたわけです.極めて素直で単純な性格です.

今,私自身も北米先住民の言語の一つであるハイダ語を実際に研究しているわけですが,勿論,この本を読んだ当時は,自分が北米先住民の言語の記述に関わるなど,思ってもいませんでした.まぁ,どうしてそんな道に行ってしまったのか,その辺の話は別の機会に譲るとして,私自身の調査の第一日目は,こんな華麗なものではなく,当時90歳のおばあさんがお発しになるハイダ語だか英語だか分からない「ガラガラ,ッカー,ヒュルルルゥー」という音声学を超越した様々なオトに悩まされるという相当惨めなものでした.ま,今にして思えば,笑ってすませられる話ですが,当時は,大きな海原をひらひらと渡る一匹の蝶のような気持ちで,この先,この言語の研究が続けられるのだろうかと,本当に不安に思ったものでした.

自分が言語調査というものをいくばくか経験した後にこの本を読むと,「あー,それ,分かる,分かる」と思わず納得する箇所がいくつかあります.例えば,55頁に「仕事慣れがしないときは,気疲れがするものである.言語学者はことばの問題と,取り組まなくては安心できない」というのは,その一つ.私自身もやはり言語と取り組んでいる時が一番安らぐわけで,例えば,話者の人たちとの都合がうまく付かず,「じいさん/ばあさん待ち」をしている間は,気ばかり焦って,段々不安になってきます(ま,実際は,その時とばかり,遊んでいますが).逆に,調査による忙しさは,全く苦にも感じず,「あ,気が付いたら,もうこんな時間!」ということがしばしばです.私の授業を受けているみなさんとは逆の心境ということですね(申し訳ない話です).

勿論,この本では,こうした調査の面白さばかりが描かれているわけではなく,その陰の部分も書かれています.例えば,いわゆる「文化住宅」に押し込められたネズパースのおばあさんが何ヶ月かにわたって積み上げられた鮭の残骸と山のようになった汗臭い衣類の中で暮らす様子が紹介されていますが,それは,そのおばあさんがそれまでの伝統的な住居であったティーピーでの生活スタイルをそのまま文化住宅に持ち込んだからです.著者は,伝統文化の長所を失い,白人文化の長所が活かされていないと述べ,「一方的な近代化の理論」を批判しています.こういった問題は,すぐれて政治的で,また,個人で解決し得るものではありませんし,また,どこからどのように手をつけていいのか,部外者にはすぐに分かるものではありません.単なる同情心だけでは,解決し得ない,極めて繊細な問題だからです.ただ,こうした問題がネズパース族だけでなく,世界のいたるところで起きているということを世間に訴えていく必要はあります.本書は,言語学の面白さを学ぶだけでなく,そうした先住民の問題を考えるひとつのきっかけを与えてくれるものだと思います.

授業で使ったテキストは,1984年から出た「新版」ですが(元は1972年刊),その後,1998年に岩波書店から「岩波同時代ライブラリー」の一つとして復刊されました.しかし,それも絶版となってしまい,入手することが困難になってしまいました.全体を通して読んでみたいという人は,喜んでお貸ししますので,いつでも申し出てください.ま,私に借りたがために絡まれるのがイヤだという人は,古書店を探し歩くか,図書館で借りることをオススメしますが.
[PR]
by jjhhori | 2006-05-11 10:38 | テキスト