授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など


by jjhhori

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今回は,ガラにもなく,絵本の話などを.「言語学とは全然関係ないじゃないか」とお思いの方,最後までお読みください.

中国語でいえば「天高気爽」という表現にぴったりなある日の午前,静岡アートギャラリーで開かれている「世界の絵本がやってきた:ブラティスラヴァ世界絵本原画展」を見てきました.

「ブラティスラヴァ世界絵本原画展」は,1967年に第1回目が行なわれ,2年ごとにスロヴァキアの首都ブラティスラヴァで開催されているものです.静岡アートギャラリーでは,2005年秋に開かれた第20回の同展から,各国の受賞作品と日本人による出品作が紹介されています.そちらの方もかなり充実した,素晴らしい展示でしたが,私の心をひいたのは,チェコの1920~30年代の絵本と原画の併設展でした.

その時代のチェコの代表的な絵本作家といえば,イジー・トゥルンカ(1912-1969),ヨゼフ・チャペック(1887-1945)などなど.ヨゼフ・チャペックは,かのカレル・チャペック(1890-1938)の兄で,画家あるいはグラフィック・デザイナー,劇作家などとして幅広く活躍しました.実は,私は,日本チャペック兄弟協会の会員なのですが,かといってチャペックに詳しいというわけではなく,日本チャペック兄弟協会は,私の言語学の恩師が設立した団体であるという理由で入会した,まぁ,不届きな会員です.

今回の併設展に出されたチェコの絵本とその原画の多くは,個人所蔵のもので,私は,「もしかしてもしかすると!」という期待を込めて,その展示に行きました.というのも,私の恩師は,蒐書家で有名な方で,そのコレクションは,ご自身のご専門のスラブ系の言語のみならず,東欧のあらゆる時代のあらゆるジャンルの本に亘り,かなりの数の稀覯書もお持ちでいらっしゃいました.そのうち,1920~30年代にヨゼフ・チャペックが装丁した古書でご自身で集められたものを『チャペックの本棚:ヨゼフ・チャペックの装丁デザイン』(ピエ・ブックス,2003年)として1冊にまとめられています.ちなみにその先生には,チェコの文学作品だけでなく,絵本の翻訳もいくつかあります.

まぁ,そういうようなわけで,もしかすると今回展示されているのは,その先生の蔵書かなと期待して行ったのですが,聞いたところによると,それらの蔵書本は,チェコの方のものだということで,私の期待は外れてしまいました(ただ,その時,学芸員の方がいらっしゃらなかったので,確かかどうかは分かりません.また,今回の展示は,全国を巡回しているものであり,必ずしも静岡アートギャラリーの企画によるものではないので,そういった細かいことまではご存じなかったのかもしれません).

しかし,展示そのものは,実に見事なもので,上にあげた著名な作家の作品だけでなく,日本の昔話をチェコ語に翻訳したものまでありました.1920年代前後にすでに日本の昔話がチェコに紹介されていたんですねぇ.驚きました.また,それぞれの作品の概要を載せた資料がもらえましたので,表紙をみながら,その絵本の中でどのような話が展開されているのかを知ることができました.

チェコだけでなく,東欧にも優れた絵本はたくさんあり,実際,かなりのものが翻訳されていて,選ぶのに迷うぐらいです.その中で,私の娘は,マレーク・ベロニカというハンガリーの作家の絵本,とりわけアンニパンニという女の子とブルンミという小熊を主人公にしたものがお気に入りのようで,アンニパンニシリーズの日本語版は,ほとんど揃えたくらいです(ただ,日本語訳がどうもこなれていないのが難点).また,同じ作家の作品で『ラチとらいおん』(福音館書店)というのも,やはりお気に入りの一冊のようです.その『ラチとらいおん』の訳者は,ハンガリー語学の碩学・徳永康元先生.徳永先生は,上に述べた私の恩師の師匠で,以前,この「裏番組」でも紹介したことがあります.『ラチとらいおん』が翻訳されたのは,1965年,今から40年前ですが,プリントを重ね,今日でも新刊で手に入るところをみると,相当人気のある作品なのでしょう.ちなみに,最近は,マレークさんの絵本のキャラクターをつけた様々なグッズが売られているようです.

と,まぁ,最後に,何とか言語学に結びつけたわけですが,それはさておき,絵本の奥深さを感じさせる,なかなか素晴らしい展示でしたので,是非ともお薦めしたいと思います(ちなみに,静岡アートギャラリーに行くと,その隣のホテル・センチュリー静岡のレストランなどの10%割引券がもらえます).絵本の世界に浸りつつ,自分のお気に入りの1冊を探すだけでなく,将来,子供ができた時に読んであげたい1冊を探したりと,いろいろと楽しめます.絵本というのは,様々な想像をかきたてるものだとつくづく感じました.

[情報]
 「世界の絵本がやってきた:ブラティスラヴァ世界絵本原画展」
 「(特別展示)チャペック兄弟,ラダ,トゥルンカ:チェコ絵本の黄金時代」
  場所:静岡アートギャラリー
  開催日:2006年11月26日(日)まで(午前10時~午後7時).
  入館料:一般1,000円,大高生800円
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by jjhhori | 2006-10-30 16:57 | 紹介

大島正二著『漢字伝来』

後期一発目の更新は,本の紹介です.今回紹介するのは,岩波新書の新刊,大島正二著『漢字伝来』,ここ最近出された岩波新書の中では,まさに出色の本です.

本書は,日本語が如何にして漢字を受け入れたかという,文字からみた文化交流史を概説したものです.私たちは,普段,漢字を当然のように使っていますが,少し考えてみると,漢字を使っていること自体,実は,とても不思議なことです.というのも,漢字は元来,中国語という日本語とは違った構造をもつ言語を表わすために創られたものであり,日本語を書き表わすには適さない文字だからです.すなわち,言語類型論的にいえば,中国語は,原則的に1つの語が1つの形態素からなり,いわば,語が構造をもたない「孤立語」であるのに対し,日本語は,語幹にさまざまな要素が随意的に付いて語が形成される「膠着語」であり,両者の間には構造的に大きな隔たりがあります.そうした構造的に大きく異なる言語を表わすために創られた文字を日本語に当て嵌めようとしたのですから,様々な工夫が必要だったことが容易に想像できるでしょう.本書は,漢字を日本語に如何に適用させていったかを説いたものであり,そこに本書の面白さがあるといえます.

そもそも,漢字は,1つの字が1つの形態素を表わし,それがそのまま語に対応しているわけですから,漢字は,語を表わす表語文字であり,しばしばいわれるように表意文字というのは正確ではありません.つまり,個々の漢字は,実質的な意味を担った単位を表わすわけですが,日本語には,実質的な意味をもたず,単に文法的な意味しかもたない(国文法でいうところの)助詞や助動詞(実際にはその多くは接尾辞)があり,実質的な意味を担った単位を表わす漢字でそれらを表わすには無理があります(尚,誤解を防ぐために付言しておくと,中国語にも助詞などに相当するものはあります).言い換えれば,中国語は,実質的な意味を担う単位が石ころのようにポツポツと配置されるので漢字で十分対応できるのですが,日本語に漢字を適用する際には,石ころはともかくとして,石ころ同士をつなぎ合わせる接着剤のような要素を漢字でどのように表わすのかが大きな問題としてあったということです.

また,中国の周辺でも多くの言語が漢字の影響を受け,その受容を試みていますが,例えば,日本語と言語構造が似ている朝鮮語は,日本語ほど漢字が浸透せず,ハングルという独自の文字を開発しました.一方,中国語と構造が似ているベトナム語においても漢字は浸透せず,やはりローマ字による正書法が確立されました.つまり,日本語において漢字が浸透したという事実は,漢字の影響を受けたそれらの言語の中において例外的であったということですが,それを可能にさせたのは,表語的な漢字から表音的な仮名を作り出したこと,それから,漢字を日本語の語にそのまま当て嵌める訓読みという方法を案出したことです.本書は,このような事実を踏まえ,先人が如何に工夫して漢字を取り入れたかを説いており,その過程を知るための格好の入門書といえるでしょう.また,補章として「日本漢字音と中国原音の関係を知るために」というのがあるのも,まさに痒いところに手が届く配慮だと思います.

著者の大島正二先生は,中国語学,とりわけ,昔の中国語の音韻の解明を図る中国音韻学の大家です.実は,私は,大学院の時に,大島先生の授業を1年間受けたことがありました.中国語学・文学専修の学部3・4年生を対象にした授業で,内容は,中国の言語学史を扱うものでした.義書(漢字の意味を説明する書)に始まり,字書(漢字字典.その代表は,許慎の『説文解字』),そして,韻書(発音辞典)の一部に話が及び,最後は,中古中国語の音韻体系の再構とその問題を解説され,かなり高度なものでした.ただ,その当時,大島先生は,学部長をなさっていたために,休講が多く,その点がとても残念でした. ちなみに,その授業の内容は,後に『中国言語学史 増訂版』(汲古書院,1998年),また,『辞書の発明―中国言語学史入門』(三省堂書店,1997年)として上梓されました.前者は,専門的な内容ですが,後者は,一般向けに書かれたもので,これもお薦めの一書です.

言語学専攻の学生であったにも拘わらず,わざわざ先生に頼み込んで授業を受けさせていただいたのは,内容が面白そうだということに加え,私の言語学の恩師が「大島さんはとてもいい人だから,授業は受けておいた方がいい」とお薦めになったからでもありました.私の恩師は,その世界では,毒舌をもって知られる方で,「あいつはバカだ・ダメだ」とおっしゃるのはよく聞いていましたが,「あの人はとてもいい人だ」とおっしゃるのは極めて稀(?)でしたので,そういうこともあって受講したわけです.今にして思えば,大島先生の授業に出たのは,とても幸運なことでした(しみじみ).

大島先生には,同じく岩波新書から『漢字と日本人―文化史をよみとく―』(2003年)というのがあり,こちらは,中国において漢字がどのように捉えられてきたのかを概説したもので,本書と併せて読むことをぜひとも薦めたいと思います.

尚,折りしも,万葉仮名の最古の木簡資料が出土したというニュースがありました.これまでの定説よりも20~30年ほど遡る,大化の改新(645年)辺りに,万葉仮名が確立したことを示す資料であり,漢字を表音文字的に用いたそのプロセスを解明する上で,極めて貴重な資料といえるでしょう.

本の情報:大島正二『漢字伝来』(岩波新書,2006年)
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by jjhhori | 2006-10-20 21:13 | 紹介