授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など


by jjhhori

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いい授業とは?

何年か前から,静大でも授業アンケートなるものが導入され,最近では,1つの授業の中で「中間」と「最終」と2回アンケートをとることになりました.私が学生だった頃は,授業の内容を評価するなどありえない話でしたが,学生にとっては,自分の意見をいう絶好の機会であり,また,それが授業の改善に繋がるのであれば,確かにいい制度だといえるでしょう.しかし,学生の意見に左右されるあまり,授業内容のレベルが落ちたら,それはそれで問題であり,私は,そこに今のアンケート至上主義に疑問を感じますが,それはさておき,そうしたアンケートをとるたびに思い出す授業が一つあります.

それは,学部生の時に受けたもので,中国音韻学に関する授業でした.中国音韻学というのは,7世紀の中国語の音韻体系を明らかにし,それをいわば祖語と見立てて,そこから現代の中国語(と諸方言)に至る音韻変化のプロセスを明らかにする分野ですが,私は,その授業を受けて,「いやぁ,これはすごい!」と,その奥の深さと幅の広さに毎回圧倒されたものでした.

しかし,その授業,実際に履修登録をしていた人はそれなりにいたと思いますが(おそらくそれでも20人はいっていないはず),実際の授業に出ている人は,5~6人程度,毎回ほぼ出ている人といったら,3人ぐらいという,ある意味,人気のない授業でした.たぶんそれは,内容が極めて高度であること,また,金曜日の5コマという,ほとんどの人がバイトに勤しむ時間帯であったからでしょう.しかも,担当の先生も熱く語るというわけでもなければ,冗談を連発して教室を沸かすというわけでもなく,事実をただ淡々とお話になる,要するに,眠気を誘発するすべての条件が整った授業だったわけです.

それでも,私は,この授業が面白く,毎回楽しみに出席し,授業中も寝ることなく,熱心に先生のお話を聞き,ノートをとっていました.私のいた大学は,いわば専門学校に毛の生えたようなところで,学問をじっくり味わうなどというそういう授業がなかったのですが,その授業は,そうした中にあって,学問への渇きを癒してくれる,まさに格別の存在だったのです.

内容は確かに難しく,実際,その授業に出ていた人たちの間でも大して評判はよくありませんでした.おそらく今流のアンケートをとったら,「難しい」だの「話が単調」だの,散々書かれるところでしょう.しかし,私には,先生のお話しぶりがどうだとかそういうことは一切問題ではなく,先生が説かれることによって,目の前の絡まった糸がほどけていくその様が実に爽快で,それを楽しみに毎回の授業に出ていました.極めて静かな雰囲気の授業でしたが,私は,ただ一人,興奮して授業を受けていたわけです(怪しい人ではありません,念のため).

その授業(通年)は,先生がお書きになった概説(ワープロ打ち)をテキストにして進められましたが,最後のレポートは,その100頁を超える概説を原稿用紙5枚程度(!)にまとめろというものでした.原稿用紙に換算すれば,300枚以上に及ぶものを5枚にまとめろというわけです.これには,難儀しました.が,レポートは,自分が熱心に講義を聴いたという証であり,それを先生に認めていただくには,へなちょこなレポートを書くわけにはいかないと思い,その概説を読み返してはレポートを書き,また,必要に応じて参考文献を読んではレポートを書くということを繰り返しました.レポートを書くのに文字通り呻吟したのは,後にも先にもこのレポートだけでした.それでも何とかレポートを出し,「優」をもらった時の嬉しさは,本当に格別なものがありました.

これには,まだ続きがあります.その先生とは,大学を卒業してからはお目にかかることがなかったのですが,私が静大に来てから2年目の時,その先生を集中講義でお呼びすることになりました.その時から5~6年ばかり経っていましたので,先生の方では,私のことなんぞおぼえていらっしゃらないかと思い,
  「あのー,昔,G大で先生のご講義に出ていたんですが・・・」
と申し上げると,
  「あー,あなた,ここにいたのですか.覚えていますよ.
   あの時のレポート,よく書けていましたねぇ,今でも大事にとっていますよ」
とおっしゃってくださったのです.正直恥ずかしい気もしましたが,その時,先生のご講義を熱心に聴いた証として書いたレポートが先生のお目に留まったことを知り,学生時代に「優」をいただいた時と同じ(かそれ以上の)感激を再度味わうことができました.

「話し方はどうか」とか「板書がどうか」とか「内容がどうか」とか,授業アンケートのそういう設問を見るたびに,私は,その先生の授業のことをよく思い出します.先生は,「韻がどうだ」とか「摂がどうだ」とか,まぁ,客観的にみれば面白くもおかしくもない話をただ楽しそうに,淡々とお話になるだけでしたが,そのお話しぶりから,先生がその分野を長年研究してこられたご経験とご学殖,それから学問に対する熱意や愛情を感じ取ることができました.「話し方がどうだ」とか「板書がどうだ」とか,そういう瑣末なことを超越したのがやはり本物であり,その味が分かるのは,おそらくその時ではなく,後々何年も経ってからではないでしょうか.その授業は,出席していた頃からそのすごさに毎回圧倒されたものですが,本当の意味でのすごさがうすうす分かってきたのは,卒業してから何年も経った後のことでした.

要するに,みなさんが卒業してから何年か経って,「あー,あの時のアレは,コレのことかぁ.よし,もう一度,言語学をやってみよう!」と思ってもらえるような授業というのが私の理想とするものです.そのためには,私自身が本物の味をかもし出すべく,研究に励まなくてはならないわけですが,その先生の境地に達するのは,あと何十年先か,否,永遠に無理なのかなぁと,期待半分,諦め半分が交じり合う,今日この頃です.いずれにしても,「社会に出たらすぐに役に立つ」という即物的・実用主義的な授業などはやなり偽者であって,そのような授業をするつもりは毛頭ありません(まぁ,時代遅れの考え方でしょうねぇ・・・).

尚,授業アンケートについて一言書きますと,時折,匿名であることをいいことに,ボロクソ書く人がいます.まぁ,当たっているものもありますが,人のことを貶めるような意見は,私は全て無視するようにしています.そういうことばかり気にしていたのでは,授業はできませんし,精神衛生上よろしくありません(勿論,聞く耳をもたないといっているわけではありませんよ).では,どのようなのが私に響くのか.答えは,簡単,おだてることです.そうすれば,極めて単純な精神構造しかもっていない私は,「よし,この調子で,次回も頑張ってやろう!」と思うこと間違いありません(まぁ,あらぬ方向に頑張りだしたら,みなさんには,迷惑でしょうねぇ・・・).「いい授業」というのは,本当に難しいものです.
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by jjhhori | 2007-06-09 21:23 | 授業