授業内容の補足・推薦図書の追加・言語学よもやま話など


by jjhhori
5月24日の授業で紹介があったクラウス論文の要約です.

言語の危機(language endangerment)は,生物学的種の危機に匹敵するものであるが,その観点から言語を分類すると,

1) 「瀕死の状態にあるmoribund」言語:子供たちがすでに学ばなくなっている言語.
2) 「危機に瀕したendangered」言語:21世紀の間に子供たちが学ばなくなる可能性のある言語.
3) 「安泰なsafe」言語:1) にも 2) にも属さない言語.

の3つの範疇に分けることができる.地域別にみてみると,南北アメリカでは900言語のうち3分の1の言語,また,オーストラリアでは,250言語の90%が瀕死の状態にある.

様々な要因が絡むために,それぞれの範疇に属する言語の数を確定するのは難しいが,仮に世界の言語の数を6千とした場合,国家語あるいは公用語などの地位にあり,話者数が多い 3) に属する言語は,その10%(つまり600言語)であり,それを除けば,残りの90%の言語が21世紀の間に消滅あるいはその運命に遭うとみられる.これは,例えば,8600種のうち231種が危機に瀕した,あるいは,その危機が迫っている(threatened)とする生物学における統計よりもはるかに深刻な数字である.絶滅に瀕する生物種の保護に対しては,様々な組織や団体があり,様々な活動が行なわれているが,言語に対する一般の関心は低いのが現状である.

こうした状況に対して,言語学は何をすべきか?まず何をおいてもそれらの言語を記述する,つまり,文法書,辞書,テキストの整備をしなくてはならない.特に当該の言語が系統的に孤立している,あるいは類型的に特異であれば,その記述は一層急を要する.こうした言語の記述は,科学にとって価値があるばかりでなく,その民族にとっても宝となる.更に,その言語の記述があれば,例えば学校や儀式などにおいて,言語が慣習として制度化されるための重要な役割を確立することも可能であり,場合によっては,その最後の話者が亡くなった後でもその言語を復活させることができるかもしれない.

更に,教育の面,文化の面,そして政治の面でその言語が生き残るチャンスを増やすためにも,教材の開発なども必要である.それには,コミュニティー,政府機関などとも協力しなくてはならない.

大学や言語学の専門集団は,研究と教育の優先をどこにおくかについて相当な影響をもつが,危機言語の問題に関連して,言語学の役割は何かを最後に問うてみたい.現代の言語学において危機言語はどの程度優先されるのか,世界のどの言語が最も注視されるのか,大学院生には,学位論文のためにこういった言語の記述をするよう促すのか,1言語の辞書をつくるのにどれぐらいの労力が必要なのか,危機言語を援助するために応用言語学的な研究を促すか,それらの言語の話者に対して必要で適切な訓練をするか.自分たちが研究教育において何を優先させるべきか,今こそ真剣に再検討しなくてはならない.

Krauss, Michael E. 1992. The world's languages in crisis. Language 68 (1): 4-10.
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# by jjhhori | 2005-05-30 18:44 | テキスト

危機言語関係のサイト

テキストを読み進めるにあたり,特に発表者にとって有益と思われる情報を載せた日本語のサイトをいくつか紹介します.ここに紹介するサイトのリンクなども参照して,レジュメ作成の際に大いに役立ててほしいと思います.但し,それぞれのページの更新頻度は区々であり,情報が古いものも含まれていることを予め断っておきます.

1つ目は,日本言語学会の中に設置された「危機言語小委員会」のホームページ.「危機言語とは何か」という基本的な問題から危機言語に関するシンポジウムや日本語の文献などを紹介しており,また,海外の危機言語関係の団体や諸機関へのリンクも充実していて有益です.

2つ目は,東京大学言語動態学研究室の「危機言語ホームページ」.アイヌ語を始めとする危機に瀕する言語の文献リストがあり,それらの言語の文法書・辞書・テキストに関する情報が得られます.

3つ目は,1999年度から2003年度にかけて行なわれた文部科学省科学研究費補助金によるプロジェクト「環太平洋の『消滅に瀕した言語』にかんする緊急調査研究」のホームページ.これは,主に環太平洋地域で危機言語に取り組む日本人の言語研究者を総動員し,日本語の方言,アイヌ語も含め,東南アジア,北東アジア,南北アメリカなどを範囲として行なわれたプロジェクトの活動報告です.このプロジェクトの成果の一つとして出版された宮岡伯人・崎山理(編)『消滅の危機に瀕した世界の言語:ことばと文化の多様性を守るために』(明石書店)には,研究の進行状況や課題,各地の危機言語に関する最新の情報が盛り込まれていますので,発表に際し,是非とも参考にしてほしいと思います(言語学共同研究室にありますので,必要な場合には,私まで申し出てください).

これら以外にも英語によるサイトは,数多くありますが,それらは,上3つのサイトにあるリンクから行けるようになっていますので,そちらを参照してください.

テキストを単にまとめるだけでは発表にはなりません.自分が担当する範囲で何が問題となっているのかを見極めて,それを深く追求するという姿勢で発表に臨んでほしいと思います.目の付け所が悪かったら,それはそれで困りものですが(苦笑).

この「裏番組」もなるべく更新の頻度を上げていきたいと思っています(が,どうなることやら・・・).
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# by jjhhori | 2005-05-18 12:08 | テキスト
久々の更新です.ヒマがあれば,少しでも更新しようと思ってはいたのですが,ヒマがないのと,ネタもなかったので,しばらく放ったらかしにしてしまいました.いまさら更新しても,まぁ,見る人はいないんでしょうけどねぇ.授業が終わったものの,特にヒマというわけではないのですが,今回は,池上二良著『北方言語叢考』なる書を少しご紹介しようと思い立ちました.

さて,この本の著者の池上先生は,1920年長野生まれ,東京帝国大学文学部言語学科をご卒業,群馬大学助教授を経て,北海道大学文学部言語学講座の主任教授として,長年,ツングース諸語を中心としたアルタイ諸言語,アイヌ語,ギリヤーク語などの記述研究に携わってこられた方です.特にツングース語研究に対するご功績が認められ,先年,国際アルタイ会議メダル(Permanent International Altaic Conference Medal)が授与されました.このメダルは,世界的に認められたアルタイ学者に授与されるもので,日本では,服部四郎,村山七郎などまだごくわずかの方々しか受章していないそうです.

池上先生のご研究の特徴は,まず,フィールド重視であること,そして,厳密でかつ慎重である点があげられると思います.先生は,現在,80歳を過ぎていらっしゃいますが,数年前まで,ロシアや中国にたびたび調査にいらっしゃっていました.時折,「**語の*という音を実際に耳で確かめてみたい」とおっしゃっていたほど,実地調査に対し相当な執念をお持ちでした.考えてみれば,80歳ぐらいのご老人がロシアや中国の,しかも,環境条件の厳しいところに,単なる観光ではなく,調査研究にいらっしゃるわけですから,それだけでも驚きといわざるを得ません.

今回ご紹介する一書は,池上先生がこれまでご発表になったご論考や随筆を一つにまとめたもので,その内容は,北方諸言語一般に関するもの,各論として,アルタイ諸言語,アイヌ語,そして,日本語を扱ったものに大きく分けられます.

それらの各篇を読んで得られる読後感をいうならば,「こういうことが明らかになった/分かった」というすっきりとしたものではなく,何となく漠としたものだということを予め断っておかなくてはなりません.それは,著者が性急に結論を出すのではなく,あくまでも慎重に,また,厳密に様々な言語事象の記述を積み重ねることに徹しているからだと思います.「言語というものはこうだ」とか「**だから,**だ」と断定した口調で述べている本や論文がよくみられますが,そういったものは,よほどの自信家か,言語の怖さを知らない「偽者」かのどちらかでしょう.著者の慎重な姿勢は,安易な一般化を戒めるものであり,私などは,そこに「本物」を感じます.

著者の厳密な姿勢は,実際の調査でも同様だそうです.池上先生の調査に同行したある人の話によると,音声観察に曖昧なところがある場合には,「もう1回!もう1回!」と何度も話者に発音を繰り返してもらい,そして,それでも不確かな場合は,次の日にもう一度同じ単語を聞いて発音を確認するそうです.優れた音声学的観察能力と長年の経験がおありであっても,決して妥協を許さないということなのでしょう(妥協の産物程度の観察しかできない私は,大いに学ぶべきところです).従って,ご論考の一字一句にはそれだけの重みがあるといえます.

私自身は,池上先生に直接教わったことはありませんが,大学院にいた頃は,先生が風呂敷包みをお持ちになって,言語学研究室によくいらっしゃるのをお見かけしたことがありましたし,その後,研究会でも何度かお目にかかり,先生のご発表を伺ったり,私の発表に対してコメントを下さったりしたことがあります.直接ご指導を受けられた方は,とても厳しく怖い先生と評していますが,朴訥とした口調でお話になるお姿からは,そういう感じを受けたことはありませんでした.ただ,先生の前で迂闊なことはいえないという厳しさは常に感じます.

池上先生のご講義は,基本的に,口述筆記,すなわち,先生が講義ノートを読み上げられ,それを学生が書き取っていくというスタイルだったそうです.今では,こういう講義をする人はいないと思いますが,例えば,<裏話1>でご紹介した服部四郎先生も同じスタイルの講義をなさっていました.池上先生は,服部先生のお弟子ですので,そのスタイルを踏襲されたのでしょうが,池上先生が学生だった頃は,そのような講義が一般的だったのではないかと思います.今,こういう授業をやったら,授業アンケートで何を書かれるか分かったものではありません(苦笑).

今回,私がこの本を取り上げたのは,皆さんに「本物」に触れていただきたいと思ったからです.「本物」は,確かにとっつきにくいと思います.しかし,その行間には,言語の具体と格闘されてきた著者の長年のご経験とご労苦を感じ取ることができ,それこそまさに「本物」のかもし出す独特の香りではないかと思います.

本の情報:池上二良『北方言語叢考』(北海道大学図書刊行会,2004年)
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# by jjhhori | 2005-03-04 17:53 | 紹介
9月某日,一通り本屋をまわって,そろそろ帰ろうかと思った矢先,平積みになっている新刊書の中に,徳永康元『ブダペスト日記』(新宿書房)を発見,中身や値段もみずにそのままレジにもっていきました.要するに衝動買いです.

徳永康元先生(1912~2003年)は,テキスト(といっても何だか懐かしい話になってしまいました)の著者の師匠で,ハンガリー語学・文学の研究者ですが,その専門の領域のみならず,かなりの蒐書家として令名を轟かせていた方です.ご自分が学長選挙の候補者になられていることもご存じなく,黒い風呂敷をもって神田の古本屋街を歩いておられたというエピソードが物語るほどに,古書と古本屋をこよなく愛されたそうです.先生の蒐書ぶりが如何にすごいかは,徳永先生による『ブダペストの古本屋』(恒文社,1982年),『ブダペスト回想』(同,1989年)をみれば,たちどころに分かります.

そもそも言語学の関係者には,古本屋好きが多いようです.私も国内外を問わず,旅先では地図を片手にまず古本屋を回りますし,そのような同好の士は,私の研究仲間の中にも数多くいます.専門書というのは,発行部数が少ないため,すぐさま品切れあるいは絶版になってしまうことが多く,必然的に古本屋を回ってそれらの文献を探さざるを得なくなります.本というのは,どうしても手元にもっておきたいもので,やむなくコピーをとるならともかく,図書館から借りて読んですますというのはどうも私自身は潔しとしません.

さて,本書には,山口昌男氏ややはり蒐書家として著名な東洋史学者の小林高四郎氏(1905~87年)などとの古書談義,ヨーロッパ旅行記や演劇・映画に関する随筆,ハンガリー留学時代(1939~42年)の思い出などが収められています.なかには,バルトークの祖国最後の演奏会を聴いたとか,ニジンスキーの娘と会って話をしたといったエピソードもちりばめられており,たとえハンガリーについてあまり知らなくても,本書を読めば,その時代と国にきっと思いを馳せることでしょう.

特に,本書の核は,先生の留学時代の日記抄です.先生は,国費留学生として1939年に日本を発ってハンガリーに留学をされていますが,本書には,その出発の時から長い船旅を経て,ハンガリーに至り,更に戦渦によってハンガリーを離れるまでの日記が収められています.日本を離れるにつれていやます望郷の念,婚約者(のちの祥子夫人)への純愛の情,ハンガリーに到着してまもなく受け取った父君の訃報,ハンガリーという異国の地での不安や焦燥感など,先生のお気持ちが飾りのない言葉で綴られ,ロマンチストとしての先生の一面がよく現われています.

当然のことながら,私は徳永先生に直接教わったことはありませんが,一度だけ,先生のご講演を伺ったことがあります(その時のテープがどこかにあるはず).その時すでに80歳におなりになっていましたが,髪が黒くてしかもふさふさしておられ,髪をみただけでは,真っ白なテキストの著者とどちらがお歳が上なのか分からないほどでした.ちなみに,徳永先生は,髪を染めているのかという質問に対し,「何本かに1本の割合で白髪を残すのは難しい」とおっしゃっていたそうです.その時の先生は,見た目だけでなく,動きも若々しくいらっしゃり,ポケットに両手を突っ込みながら,教壇の上をしきりに左右に歩いていらしたのをよく覚えています.

本書は,既刊の2冊とブダペスト3部作をなすものです.できれば,既刊2冊も併せて読むことをぜひおすすめします(但し,残念ながら,両者ともたしか絶版になっていると思います).更に,千野栄一『プラハの古本屋』(大修館書店),小林高四郎『古本随筆 漁書のすさび』(西田書店,これも絶版)も読むといいでしょう.これらの本を読んで,古本屋巡りに駆り立てられない人は,言語学をやる必要はありません(笑).
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# by jjhhori | 2004-09-18 12:06 | 紹介
7月も終わりかけのある日,日本チャペック兄弟協会から一通の書信が届きました.チャペック兄弟協会というのは,テキストの著者が設立したチャペック兄弟(カレルとヨゼフ)の作品の研究と鑑賞を主たる目的とする組織です.私は,その会員ではあるものの,チャペックのチャの字も知らない,一種の不名誉な会員ですが,まぁ,それはともかく,「何じゃろ」と思いながら,封を開けてみると,8月某日に第一サティアンにて先生の蔵書のガレージセールをするとのこと.カナダに出発する2日前,しかも,7月末に引越しをし,その荷物がまだ十分片付いていないにも拘わらず,このような機会を逃せば必ず後悔するであろうと思い,行くことにしました.

場所は,世田谷の某所.第一サティアンは,甲州街道から少し奥に入った住宅街の中にあるマンションの一室.7~8畳程度のワンルームの三方の壁には本棚が据え付けられ,更にその前をふさぐようにダンボールで臨時に作られた本棚が並び,部屋の中央にも同じような本棚があって,まさに本だけの部屋でした.おそらく先生お一人だったならば難なく移動できたのでしょうが,今日は,先生の蔵書をじっくり吟味し,一冊でも多く手に入れようという人たちで溢れかえり,外の暑さと部屋の中の熱気で息苦しくなるぐらいでした.

前にも紹介したとおり,ここ第一サティアンはスラブ関係と言語学関係の蔵書がおさめられていたそうです.聞くところによれば,上野にある国際こども図書館に600冊あまりのチェコ語の児童書や絵本がすでに収められているそうで,今回は,その他の蔵書の一部を整理してガレージセールを開いたとのことです.おそらく稀覯本も含まれているのでしょうが,せいぜい高くて3千円,ほとんどが100円から500円という値段でした.

しかし,いざ選ぶとなると,何となく妙な遠慮が出てくるものです.手にとってみていると,どうもあの世から「あー,それ,ダメダメ」といわれているような気がし,何度も出したり引っ込めたりしていました(笑).それよりも,本の数が膨大なことと,何しろ,ほとんどがスラブ関係の本で,小説から歴史書,建築関係から美術書などなど,私などがもっていても本に申し訳ない気がして,そういったような遠慮からなかなか手が出せませんでした.

それで結局,言語学関係の本を何冊か買って,サティアンを後にしたのですが,一緒に行った友人は,ドイツ語の小説で先生の書き込みがあるのをみつけて喜んでいました.「あー,そんなのがあったのか」と思っても後の祭り.私が買った本にも鉛筆で線が引かれてあるのがありましたが,果たしてそれが先生による線なのか,それとも前の持ち主のものなのか,さすがに線による筆跡鑑定まではできませんので,ひとまず先生のものだと勝手に思い込むことにしました.

しかし,その日の最大の収穫を得たのは,一緒に行った私の妻でした.彼女は,チェコ語も知らなければ,言語学も全く知らないので,専ら絵本を目当てに探していたのですが,先生が訳された絵本の在庫の中に,チェコ語の絵本に鉛筆で日本語訳が書かれていたものをみつけました.「お子さんが書いたのかなぁ」といって出した本を見て,私と友人は,「これ,先生の直筆じゃない!」とびっくり.全部ひらがなで,先生の細かくて整った字がきれいに並んでおり,間違いなく先生の手です.お子さんのためにお書きになったのか,それとも,下訳だったのか分かりませんが,とにかく我が家の家宝となる貴重な本といえるでしょう.

このガレージセールは,その日が第一弾で,第二弾もその翌週に行なわれるとのこと.もうその日にはカナダに行ってしまっているので,行けないのがとても残念です.でも,これ以上サティアンにいつづけると,本が発する毒ガスにあてられそうな気がしないでもありませんが,その一方で,もう一度,その毒ガスを吸ってみたいと思う気持ちもあるようで,先生の蔵書に込められた毒ガスを吸っては,サティアンを思い出しています(笑).
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# by jjhhori | 2004-08-07 22:44 | 裏話